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著作権の非親告罪化について補足してみる

昨日書いたエントリーであるところの「警察は著作権の非親告罪化についてどう考えているのか - memorandum」に思いもよらない反響がありました。ありがとうございます。しかしですが、私の認識とは違うところもあるので、ぶくまコメントに答える形で、補足してみようと思います。


警察は著作権の非親告罪化についてどう考えているのか - memorandum

率直な意見としてはそうだろうが、警察側からアプローチできるようになるというアドバンテージはかなり大きいと思う。快くは思っていないが、行動するコストを考えて黙っている層は丸ごと掘り起こされる。

2015/02/12 19:45


警察側からのアプローチが可能である点は、実は親告罪であろうが非親告罪であろうが変わらない、と言うのが今のところの私の認識でありますね。


親告罪となることを心配している人が多々いますが、皆さんおしなべて「警察が捜査するにあたり、被害者の告訴が必要というのが親告罪である」と認識しているようです。それに対して「それはちがうのではないかな」というのが私の様な人なのでしょう。


もっと言うと、「警察が告訴・告発なしで捜査する事など例がないわけではないのに」というのが私の立場です。例えば、サイバーパトロールですね。

島根県警の捜査員がサイバーパトロールで発見し、ACCSを通じて著作権者である株式会社手塚プロダクションに連絡したことが摘発の端緒となったとしている。
サイバーパトロール端緒にShareユーザー御用、アニメ無断公開の自衛官男性 -INTERNET Watch

著作権を侵害されていると言う認識がないままに警察が独自に捜査を始め、権利者に連絡を取り、事後承諾の形で告訴を行った事例ですが、告訴のないままに警察が捜査が可能であると言う事は、別件逮捕も行う事が出来るでしょうね(可能性がゼロとは言えないと言う意味で)。


非親告罪化される事により警察が何をしてくるのか分からないから、条文で手当てしろ」というのは分かります。それに対して心配するなとは言いませんし、当然の反応でしょう。しかし、「警察が何をしてくるか分からない」状況は、実は親告罪であるところの現状でも同じと思われます。「何を今さら心配しているのか」という印象は否めないのですね。


なお、萎縮効果については別に否定しません。日本の同人業界が「権利者は親告罪なので、権利者がアクションを行わない限り警察は動かない」という思い込みを持っており、思い込みによって同人業界が繁栄していたのであれば、著作権非親告罪化がマイナスの影響を与えるのは当然だと思います。


また、「訴追要件に告訴が必要なくなれば、警察にとって起訴できないと言うリスクが低くなり、捜査へのハードルが低くなるのではないか」という疑問につきましては、「知財関係の捜査には権利者の協力が欠かせない」というのであれば、ハードルは低くなることはないだろうと思いますが、根拠もないというのが正直なところですね。

警察は著作権の非親告罪化についてどう考えているのか

TPPがらみで、著作権非親告罪化と、それに伴う(主に)同人誌作者の方々のリアクションとで賑やかになっている昨今の著作権界隈である。


一方で、非親告罪化について法務省、および警察がどの様な見解を持っているのかに関しては、驚くほど語られていない。非親告罪化=警察が取り締まりやすくなると言う認識で一致しているようである。


著作権非親告罪化について警察、捜査当局の実務担当者が語っている例としては、文化庁著作権審議会法制問題小委員会(平成19年第4回)である。ここで、法務省刑事局参事官の山元氏と、警察庁生活安全局の古谷氏が、非親告罪化における捜査実務への影響を語っているので、引用することにする。

(山谷氏)親告罪ということを維持されるべきかどうかということでありますが、これについては、著作権法違反がなぜ親告罪とされているのかというような趣旨、それから、それが現実にどんな効果をもたらしているのか、あるいは、非親告罪とした場合の影響等を踏まえて、御議論いただければと思うのですが、先ほど御紹介しましたように、取締りへの影響という観点から申し上げますと、非親告罪としたことによって、捜査機関的な考え方、あるいは捜査実務の現場を考えますと、非親告罪化すれば、取締りが強化されるのかということについては、直ちにそうは言いにくいのではないかなというような感触は持っております。といいますのは、被害者からの申告や協力がなければ、実際問題、著作権の中身とか、あるいは著作権侵害の対応、あるいは影響ということが判断できませんので、実際問題、訴追するのが困難ではないかというような考え方に、検察官としてはなると思います。いずれにしても、被害者の御協力あるいはその意向というものなしに、訴追ということはちょっと考えられないだろうということであります。

(古谷氏)3つ目の「親告罪であることによる実務上の支障」という点でございますけれども、基本的には、親告罪であるということが、著作権法違反事件の捜査にとって大きな障害であるという認識は持っておりません。それでも、年に1件、2件という程度のレベルではございますけれども、告訴が得られないために捜査が中断に至る事例が、あるにはございます。近年の事例といたしましては、例えば民事で賠償金が獲得されたということで、告訴が取り消された事例。これは言ってみれば、民事紛争を有利に解決するために刑事告訴を利用したとも受け取れるような事例でございまして、残念な事例でございます。
 それから、権利者が告訴に極めて消極的であるということで、立件を断念した事例でございます。これは、捜査とか公判におきましても、その鑑定とか証言ということで協力をしていただくことになるので、その負担が重いということで、告訴をしていただけなかったのではないかというふうに思っております。個人や小規模事業者という形の権利者に限らず、業界の大手の場合であっても、そういう対応が見られる場合があるということは、少しございます。

(古谷氏)警察にとりまして告訴というのは、処罰を求める意思表示ということにとどまらず、権利者が捜査に協力をすると、そういった協力意識のあらわれでもあるというふうにとらえているところでございまして、先ほども申し上げましたけれども、権利者の協力なくしては、知財事件の捜査は成り立たないと考えますことから、そのように、ちょっと気になっておるところでございます

(古谷氏)おそらく剽窃だとか、いわゆるパクリみたいなものというのは、ネット上などを中心にしまして非常に大量にございますので、どこで線引きをするかというのは非常に迷うところかと思います。社会的に非常に反響を呼んだという事件であれば、関心を持って見るとは思いますが、関係者が全部いいよといっているような場合にまで、刑事手続にのせて、懲役10年、まあ10年にはならないでしょうけれども、仮にしたとして、それはいかがかなという感じが、個人的にはいたしております。


10年前の議論が今現在、どこまで通用するかという話にはなるであろうし、警察の意識が変わっていないという保証もない。警察全体の意思をどこまで反映しているのかという話にもなってくるであろうけど、とは言え、警察の実務担当としては、非親告罪化をそこまで重視していないと解釈できますね。


逆に言えば、著作権非親告罪化は、警察が求めているわけではない事になりましょうね。個人的に、森田委員の発言が面白かったので、最後に引用します。

【森田委員】 今日のお話をお伺いしますと、また、今の道垣内委員の御発言とも関係しますけれども、親告罪を見直すべきだと主張されている方の意図というのは、捜査の実態についての誤解があって、そういうことをおっしゃっていたということなのか、それとも、むしろそうではなくて、何かシンボリックな効果を狙って、国内の取締りを強化してますよということを示すというのが親告罪でなくする目的であって、必ずしも実際の捜査に影響があるわけではない、それとは独立に考えるべきだという、何かそういう御主張なのか。この件については、今日お配りいただいた「知的財産推進計画の2007」にも入っていますけれども、この意図というのはどう整理されているのかという点についてお聞きしたいと思うのですが。

楽園追放に文句言ってみる(ネタバレあり)

先日公開されたアニメ、楽園追放が話題になっていたので見に行ってきた。冒頭数分(サンドワームの肉の辺りまで)みのがしたのであるが、まあ、感想にとって大きな影響はないでしょう。多分。

感想はどうだったかというと、アンジェラちゃんかわいかったに尽きますかね。虚淵さん、まどかマギカでも同じような感想だったんだけど、美少女のキャラクター造形は本当に上手ですね。私はまどかマギカではほむらがお気に入りだったんですが、アンジェラといい、めんどくさい女の子の描写に関して長けていると思います。一方で、虚淵さんが語る世界・社会にはあんまり関心を曳かれなかった。

でまあ、つらつらと文句を言ってみたいところが出てきましたので、ここで述べてみたいところです。めんどくさいSFおじさんだなあと思われるかも知れませんが、実際めんどくさいSFおじさんなので、仕方がない。スタンスとしては文句言いながらも好きな作品ですが、伝わるかどうか。


外宇宙に行け!

まずはこれですよね。これ。50年代のSFであれば、宇宙へ行っていたんじゃないかなとは。あのラストシーン、ディンゴもアンジェラも外宇宙探索を選択しなかったのは個人的に大変残念です。

つまり、私は「ラストシーンでもう一度物語が大きく膨らむ」という物語が大好きなのであり、小さくまとまってしまったかなと思いました。宇宙を選ばずに、地球に残ることを選択するのも悪くはないですが、あの世界の地球、どんづまりも良いところで、大して明るい未来はなさそうなので、あの後二人はどうなるのか。どうなるんだろうなあ。


精神と肉体との相克が描かれてない

この映画において、精神を代表しているのがアンジェラであり、肉体を代表しているのがディンゴという事になると思いますが、どうも無条件に肉体に軍配を上げているのが気になってしまいます。

つまり、ディンゴのアンジェラに対する説教シーンを問題にしているわけです。あのシーン、「メモリーの空間の広さに依存しているディーヴァ」と「食料に依存している地球人」という類似性を主張していて、「互いに相容れない存在であると思われるディーヴァと地球人に共通点がある」→「ディーヴァと地球人との相互理解」と言う展開もできたと思うのですが、どうもディンゴさんが「だがディーヴァは別だ」と、一方的に議論を終わらせているような感が。

何というか、管理社会に対する理屈抜きの批判が根底にあり、それが変な形で発現したのかなと。


アンジェラがよくわからない

つまり、前半のアンジェラと、後半のアンジェラが別なキャラクターなのでは……。

ディーヴァに対する反逆なのに、アンジェラはそれに対して葛藤してない感じですし、地球に対して思い入れをもった描写がないのに、唐突に「私はまだこの世界をよく知らないの」的な台詞を言いますし、肉体というものに対して肯定的な描写はとくになかったし。

「肉体の限界を超越したディーヴァにも関わらず、肉体に興味をもったアンジェラ」を描きたいのであれば、ディーヴァには存在しないけど、人間が特有している何かの描写が必要だったのかなと思います。その「肉体特有の何か」を知ることで、アンジェラはディーヴァの限界を感じ、肉体を持つことの意義を悟るとか(今では古くさいのかもしれませんが、めんどくさいSFおじさんなので仕方がない)