日本の同人誌文化とフェアユース

さて、http://d.hatena.ne.jp/bn2islander/20060605/1149519446では、アニメ会社は著作物利用に関する明確なルールを決めるべきであり、恣意的なルール運用はいかがなものかと書いた。基本的には間違っていないと思うのだが、いささか理想論のきらいがあり、現実が見えていなかったのかもしらないと思うようになった。つまり、同人誌、あるいは同人誌文化の存在を想定していた文章ではなかったのだ。

もし、企業側が著作物に対する明確なルールを策定し、それを運用しようとするのならば、同人誌を作成することが不可能だと言う、当たり前のことに気が付かなかったのだ。著作物に対するルールを作る事は、権利者側が著作物に対してコントロールする事を意味する。そして、ルールを作った以上は、それを行使しなければ意味がなくなる。つまり、権利者の意図が絶対であり、権利者の意図を超えるような事態は阻止しなければならない。利用者が自由闊達に著作物を利用したり、変形したりすることはできなくなってしまう。これは、同人誌作者にとっては、不快きわまりない事態であろう*1

このような事を考えてみると「恣意的なルール運用」にも、理があるように思えてくる。つまり、日本的曖昧さが、同人誌文化の豊穣の土台となっていると言うことだ。確かに、権利者は著作物の利用を許諾しておらず、同人誌を制作する側は、警告されるリスク、訴訟リスクを常に抱えていることになる。権利者と利用者の距離が比較的近く、お互いに空気を読みあっており、裁判にまで発展することはあまりない。また、権利者側が同人誌の効果をある程度認めており*2、利用者は権利者の足下をみて活動している節もあるので、訴訟リスクに萎縮することなく同人誌を作成できると言うことなのであろう。つまり、事実上のフェアユースが成立しているといえる。日本では著作権法フェアユース規定はない。しかし、法律に明文化されてなくとも、権利者が緩やかに権利を行使するのであれば、フェアユースによる文化の発展が期待できるという事になる。

しかし、権利者が権利を行使しようとしないのは、本当に同人誌の効能を認め、その上で黙認しているだけなのだろうか。日本では訴訟を起こす事に、コストやエネルギーが費やされ、勝訴したとしてもほとんどの場合は訴訟に見合うだけの見返りがないのではないだろうか。つまり、著作権を侵害された権利者がいたとして、何かの手段で権利を守りたいと思ったとしても、多くの場合は泣き寝入りしているのではないかとも思う*3

近頃は司法改革が叫ばれており、訴訟を起こすためのハードルを低くするための議論が広く行われているようだ。また、日本国は知財権が強化されつつある傾向にあるようだ。裁判に訴えたくともなかなか踏み切れなかった権利者側が、訴訟によって白黒付ける機会が、今後は増えてくるのかもしれない。大きなお世話ではあるが、同人誌文化を支えている人たちは、その日が来ることを想定するべきなのではないだろうか。

*1:JASRACが嫌われているのも、これと同じ図式だね

*2:便宜上こう書いたけど、出版社には著作権著作隣接権は発生しない

*3:この辺りは私の思いこみ