高木兼寛は麦飯で脚気を防止する事ができたのか


本題の前に、前置き。大麦を加工したものの中に、ビタバァレーがある。

「はくばく ビタバァレー 540g(45g*12袋)」は、大麦にビタミンB1をプラスした、ヘルシーで食べやすい麦(ビタバァレー)です。
はくばく ビタバァレー 大麦 540g(45g×12袋) 【ケンコーコム】

ビタミンB1が豊富なはずの大麦に、なぜビタミンB1をプラスするのだろうか。



さて、id:NATROMさんのコメントに答える形で、本題に入ります。

日清・日露戦争の死亡者に関しては、和食か洋食かと言う話ではなく、米食か麦食かという話です。

米食か麦食かという話であれば、米食に含まれるビタミンB1の量と、麦食に含まれるビタミンB1の量を比較する必要があると考えます。高木兼寛がどのようにして海軍の食事を改善したかは、脚気病原因の研究史に記述されてますね。


最終的には、麦を一日辺りで200グラム出した事になりますが、さて、麦200グラムに含まれるビタミンB1の量はどの程度のものなのでしょうか。http://fooddb.jp/で調べてみる事にします。

麦の種類の違いにより、ビタミンB1の含有量は0.12mg〜0.44mgとかなりのバラツキがありますが、一番大きな値を採用してもビタミンB1の一日の所要量とされる0.8mg〜1.0mgには達しません。これは、麦はビタミンB1が豊富な食品とは言えない事を表しており、米食を麦食に変えるだけでは脚気を克服できなかったのではないかと思います。高木兼寛の言を入れて陸軍が麦食を取り入れたとしても、脚気による死者を減少する事は出来なかったのではないかと考えます。


以上から、高木兼寛脚気を克服できたのは麦食に変えた事が決定的な理由ではないと考えます。では、何が原因で脚気を予防できたのかを考えてみましょう。脚気病原因の研究史の表4をもう一度眺めてみると、米が減り、麦が増え、獣肉が増え、パンが増え、野菜が増えています。確かに、麦を増やした事で、ある程度はビタミンB1の摂取量が増えたとは思いますが、それだけでは賄いきれず、色々な種類の食物を増やし、バランスを重視した事で脚気が克服できたのではないでしょうか。

それでは、陸軍の兵食のバランスがどのようなものだったかと言うと、以下のようなものだったようです。

平時の兵営においては連隊の経理部が麦を調達していたし、副食が助けになっていた。しかし補給の困難な戦地では、規定どおりの副食(肉類25〜40匁、野菜40匁、漬物類15匁)が給与されることは期待すべくもなかった。そして、その結果は先に述べたとおりとなった。
日清・日露戦争と脚気

文の中で言及されているように、副食である程度のビタミンが摂取されているとするのならば、日清・日露戦争での脚気に関しては兵食そのものには関係が無さそうです。すなわち、脚気の原因は「補給の困難な戦地で、十分な食料を手に入れる事ができなかった」からであり、兵食が米食中心だったか、麦食中心だったかは本質的な問題ではないのではないでしょうか。


脚気の件で森鴎外を「現在の視点」から批判するのであれば、海軍の兵食のビタミンB1の含有量と、陸軍の兵食のビタミンB1の含有量を比較した上ではじめて批判出来ると思いますが、現実をみると「海軍は麦食にすることで脚気を克服したのに、頑迷な陸軍は白米中心主義にこだわり無用な犠牲者を出した」というステレオタイプな批判が主流です。これは、海軍善玉論、陸軍悪玉論の現れなんでしょうが、森鴎外スケープゴートにされているようで、理不尽さを覚えないでもありませんね。


追記
ぶくまに反応してみる

NOV1975 論理 現実的に支給が可能だったのが麦飯だったんだから、「副食さえ規定どおりなら麦飯はいらない」というのは非合理で非現実的だったわけだ。だから麦飯がクローズアップされている。

副食が支給出来ないとすると、米飯と麦飯の混合食だけで脚気は防止出来たかという話になります。脚気を防止するにあたり、一日最低どの程度のビタミンB1が必要なのか、その辺りの結論が出ないと、陸軍を批判出来ないと言う事になるかと、私は思います。

また、現実的に麦飯の支給が可能だったかというと、私はそうも言えないんじゃないかと思います。

陸軍が精白米にこだわった理由はかならずしも「科学的理論」だけではなかったろう。麦の供給に関係したであろう他の条件も考察してみよう(大江志乃夫『陸軍省編纂「明治三十七八年戦役陸軍政史」複製別冊解説』湘南堂書店、1983年を参考として)。当時自動車をほとんど持っていなかった日本陸軍にとって唯一の陸上機動力は馬であった。17万頭余にのぼった軍馬の飼料として大麦を調達することは陸軍にとってたいへんな苦労であった。当時大麦は農家の自給食糧であって商品市場を形成していなかったし、農家では通常馬に麦を食わせることはなかったからである。
日清・日露戦争と脚気

このような状況で、陸軍の全兵士に麦飯を行き渡させる事は可能なのかと、考えてしまいます。海軍と陸軍の兵数の差が一桁違う以上、海軍で麦飯が可能だからと言って、陸軍が可能だったとは言えないのではないでしょうか。