「読み聞かせ」問題

最近、ちまたで「読み聞かせ」に関する著作権の話が話題になっている。http://www.asahi.com/life/update/0513/006.htmlから引用すると。

営利の場合はすべて著作権者の許諾が必要だとしたうえで、非営利でもOHP(投影機)などを使って絵本を拡大したり、紙芝居に改変したりする場合は「許諾を要す」。表紙をホームページにのせる場合も「確認が必要」とした。また、非営利の定義も、「読み聞かせをする人に報酬・謝金を支払うのは×」「観客に配るお菓子・ジュース代を徴収するのは○」など細かく示した。


読み聞かせと言うものに関して私が持っているイメージから説明すると、単に大人が絵本を朗読すると言うものである。お兄さんやお姉さん、お父さんお母さんが本を持って、ただ話しているだけ。子供たちはそれをただ聞いているだけというものである。ちなみに言えば、読み聞かせに参加したことは一度もない。

以上の事を踏まえて、朝日新聞に載っているガイドラインを考えてみよう。OHPによる拡大に関しては、そこまで許諾を必要というのはやりすぎだろうとは思うが、拡大教科書って読み聞かせに必要なのか知らん。紙芝居に対する改変に関しては、これは「読み聞かせ」の範疇を越えているんじゃないかな。同一性保持権や、翻案権に抵触する可能性がある。表紙をホームページに載せるのも、著作権法には触れるだろう。

つまり、このガイドラインに関しては、「読み聞かせ」に関して許諾が必要と言っている訳ではなく、「読み聞かせ」以上の事をする際に許諾が必要だと言っているだけではないのかと私は考える。「読み聞かせ」の名の下に、著作権がなし崩しにされるのは、著作権者はやはり不快感を持つだろう。



で、少し気になったのはYunyの鉄は、熱いうちに鍛て。さんのエントリー。

ペープサート等の二次的利用と申請の問題を特に重視しているのは、ある意味、そういった鑑賞・演出方法が、日本の児童教育の伝統のようになっている面が否定できないからです。同一性保持権と自由な二次的利用は相入れないのだとは思うのですが。昨日「寂しい」と書いたのはまさにこの点でした。(だからといって著作者の権利を侵害して良いとは思いませんが、最終的に児童文学が子どもから次の世代の子どもへ語り継がれることを希求するのであれば、その辺りにはもう少し寛容であるべきではないかと思ったわけです)
「読み聞かせ」と著作権2 - Yunyの鉄は、熱いうちに鍛て。


著作者に対して一方的に妥協を求めているように思うのは考えすぎかな。つまり、利用者も権利者もどっちもどっちと言うことだ。自由な二次使用を要求すると言うことは、言い換えれば著作者に我慢を強いている事になる。行使できるはずの権利を行使するなと要求しているわけだから。

「読み聞かせ」における二次使用が児童教育に大きな役割を果たしていると言うのなら、利用する側も妥協する必要があるのではないかなあ。自分が妥協することで、相手に妥協を迫るという交渉法もあるとは思うのだ。例えば。

  1. 児童教育の範囲を明確にする(何歳から何歳までと言う事ね)
  2. 改変の範囲を明確にする(ストーリーの改変は行わないとか、出版社のチェックを受けるとか)

みたいな感じかな。それはそれで問題が出てくるかも知れないけど。

利用者が妥協を求めているのは分かるけど、それなら、どの程度の妥協を要求するのか明確にするべきなのではないかなあ。読み聞かせはどのような場であり、何をしたいのかを明確に主張しなければ、権利者には分かってもらえないのではないかなあ。実際、紙芝居に改変することが「読み聞かせ」の範囲に含まれるとは私も知らなかったし。少なくとも「もう少し寛容であるべき」と言うような、曖昧な言葉はどうなのかと思う。なあなあのままの方が何かと都合がいいのかも知れないけど。日本社会は黙認を尊ぶ傾向にあるのは事実ですし。

あと、個人的には権利者からの一方的なガイドラインであるような所が気になりました。筋から言えばこの手のガイドラインは権利者と利用者が合意するべきなのにね。この辺りが「上から規制を押しつけられた、けしからん」的な感情的な反発を招いている一因でもあるのかも。ただし、記事の中には

作成に加わった読み聞かせ団体の親子読書地域文庫全国連絡会は一定の評価をした上で「あれもダメ、これもダメと煩雑さから現場が萎縮するのは心配だ」と話す。


ともあるんだよね。利用者である読み聞かせ団体も作成に加わっていたのか。そう言うことなら、なぜこの団体が連名されていなかったんだろう。この団体はどこまでガイドラインの作成に関わったのだろう。この団体の見解をもっと聞いてみたいですね。