映画からテレビ、テレビから……?

古川 亨ブログ 放送・通信の在り方に関する、私見を読んで、色々と思ったので、その感想でも。

「陸蒸気がウチの村を通ると牛が乳を出さなくなるという危惧により、自分たちの住む村を迂回して鉄道の線路や駅の配置することを陳情した」という話が明治の初頭にあったそうです。そんな話を思い描いてしまうのは不謹慎でしょうか?.

「陸蒸気」の意味するところは、デジタル化グローバル化の波を意味し、「牛が乳を出さなくなるという村民の危惧」とは...放送業界および通信業界の既得権益をもった企業/業界団体の懸念を意味します。


仰るとおりではあります。しかし、この話から2つの事を読み取ることも出来るかと思うのです。


1.既得権益を持った団体が反対するのはいつもの事
2.既得権益を持った団体が抵抗しようとも、結局は新しい波に押し流されてしまう


デジタル化の波、グローバル化の波が大きい波だというのならば、既得権益を持った団体がどのような主張をしようとも、聞き流せておけばよろしいと思うのです。いずれネットによるコンテンツ配信が商売になるでしょうし、その時が来たら、放送局はわれ先に通信業界に飲み込まれてしまうのは間違いありません。

と言うか、放送局がコンテンツ配信に消極的だというのは、大きなビジネスチャンスだと思います。放送局がネットを軽視している今のうちに通信業界が資金を出し、権利処理済みの有料コンテンツを制作し、自前のコンテンツを利用したネット視聴のインフラを整えてしまえば、後手に回った放送局は居場所を無くすのではないでしょうか。逆に、今のチャンスを逃し、放送局がネットに本格的に手を出してしまえば、豊富なコンテンツ資産を持っている以上は太刀打ちできないでしょう。

かつては映画が娯楽の中心でしたが、今ではテレビへと移り変わっています。ネットがテレビを代替するメディアになるのか、それともテレビ局にネットが従属してしまうのか、分岐点は今なのではないでしょうか。ネットが娯楽の中心に位置したいのならば、テレビ局の資産を活用するという考えを捨てて、自前でコンテンツ制作に乗り出すべきだと思います。