唐沢俊一氏のガンダム批判

全面的にバーチャルネットアルケミストはるか13歳2003年12月のDIARYから転載。

「今度映画化されるという、あの『機動戦士ガンダム』、あれくらい日本のSFファンの気質を嫌らしく具現化した作品を僕は知りません。(中略)
 ストーリーはハインラインの『宇宙の戦士』のエピゴーネン、お定まりの美形キャラ、ハデハデしいメカの行列、SF用語の羅列、反吐をつきそうな気障ったらしいセリフ。小説版(これが所によってはフォーサイスの新作より売れてる)にはベッドシーンまで出てくるという、ミーハー向けサービスたっぷりの道具立て。これだけなら単に陳腐というだけで別に取り立てて騒ぐ程のものでもありませんが、それを"戦争とは? 人類とは?"といったいかにもそれらしそうなテーマで飾って高級そうに見せかけているのが中・高生のSFファンたちにああまで奉られている所以です(それとて、戦争否定みたいなポーズをとっている一方で、戦闘メカのかっこよさを誇示しているんだから衣の下から鎧が透けて見えてます)。
 いったい、こういったテーマを番組に持たせることにどれ程の意味があるのでしょうか。ましてやこれはそれこそ子供向けのアニメーション、マンガ映画です。年少の視聴者にはさっぱりわからないでしょうし、いくらかストーリーを理解できる年齢のこどもたちには、誤った観念を植えつけてしまう可能性すらあるでしょう(言うまでもなく戦争などというものはたんに良い、悪いなどという一面的な定義づけでとらえられる小さな問題ではありません)。こういった作品にファンが集まることが日本SFファンの思想好き、テーマ好き、深刻好みの性癖を如実に表しています。そしてその元凶とでも言うものがゴジラであるとするならば、桜井さん、僕が言いたいこともわかっていただけますまいか」
 ……さあ、ここで地雷を踏んだ。ナンとあの『機動戦士ガンダム』をけなしたのだ。

 ―別冊宝島 406「投稿する人々」


確かに痛いよね。この文章*1。「認めたくないものだな、若さゆえのあやまちというやつは」と言う文章で締めくくられていると言うのもむべなるかな。


ただ、この文章って、ガンダムファンがガンダムSEEDを批判する文章にそっくりだと思うんだ。今後、色々な作品がでて、どの作品にもアンチが付くと思うし、おそらく、どの批判文も似たような文章になると思う。アンチの歴史は繰り返す。例として、以下の文章を取り上げる。

 SEEDの問題点を総括すると、何かよく解らんままに、機動戦士ガンダムのパクリみたいな始まり方をして、途中でドロドロの恋愛関係、総集編、いつの間にかラスボスが出てきて、分け解らない理由で大量殺戮を始めて、ラスボスが死んでエンディング。作品としてのテンポ感が非常に悪いです。26話ぐらいにまとめた方が、見やすかったのではないかと。あとガンダム強すぎ。キラとアスランのホモ関係は明らかに女性を狙いすぎ、提示したテーマの答えも無しと言ったところでしょうか。
ガンダムSEEDについて語ってみる

二十数年の時を隔てている割には、同じような文脈、同じような所を批判しているように思う。


……まとめが難しくなってしまった。言いたいことは二つあって、一つは、ガンダムSEEDを貶すガンダムファンに対して「貶したくなる気持ちは分かるけど、君らの好きなガンダムだって、昔は同じような批判を受けて来たんだぜ」と言ってやりたい。今のファンには今のアニメを楽しむ資格があるんだから、放って置けばいいじゃん*2


もう一つは、アンチの歴史は繰り返すし、オリジナリティも彼らにはないと言う事かな。何が原因か分からないんだが、アンチの文体って似たり寄ったりなんだよね。オリジナリティなくアニメを批判するより、肯定的な目でアニメを評価したり、語ったほうが遥かに面白いと思うんだけど、どうだろう。

*1:ガンダムを批判したくなる気持ちはよく分かるんだけど。私だって高千穂遥ガンダムはSFじゃない論に賛同した時期があったし。ガンダムと言う作品は、SFファンがなにか一言言いたくなる作品だとは思う

*2:ガニメデの優しい巨人」みたいな感じですね。違うか