マスコミと受け手との乖離

実はネット上にマスコミ批判が存在することをしらないマスコミ関係者は意外に多い。自分たちは市民の側に立って権力を監視していて、そのことで市民からも評価されている、と信じて疑わない新聞記者をわたしは何人も知っている。
自分のブログも炎上 : ネットは新聞を殺すのかblog


エントリー先の趣旨とは関係ない部分なのでご注意を。

で、この一文は怖いね。私は「マスコミ=権力」と考えているので、滑稽という他はないが、滑稽で済まされないのも確かな話。つまり、マスコミは自らが正義と自覚して、報道活動を行っているらしい。「正義の名の下に」って事なのかな。人の権利を侵害しようと、自らの報道の影で誰かが泣こうと、正義の元に行動しているのなら問題なし。ジャーナリズム原理主義とも名付けようかなあ。

マスコミ関係者は、自分たちが「権力者」である事をもっと自覚するべきだと思うのだが。「自分たちが市民の側」に立っているというのは滑稽であり、大きな間違いだと思う。市民は、マスコミが自分の側に立っているなんて思わないだろう。マスコミが権力を監視していても、それは権力と権力がぶつかり合っている以上の意味はないような気もする。

そして、黒字を出すために努力し、市民に受け入れられる記事を書くのがマスコミだと思っている。市民の側にいるから価値があるわけではなく、市民から一歩離れて、市民に受け入れられる記事、口当たりのいい記事を書くのが仕事だと思っている。いや、私はその事をなじっているのではない。それがマスコミの本質だと思っているわけである。ただ、その事をマスコミの内部に位置している方々が自覚していなかったとすると、それは滑稽な勘違いであろう。