ボーイスカウトと学校教育

日本を滅ぼす教育論議 (講談社現代新書)は予想通り大変面白く、大変刺激的であり、大変扇動的な書籍だった。是非とも紹介したいのだが、引用だらけになってしまうのが問題なんだな。あとできちんとした形でやろうとは思っているんだけど。

一つだけ書くと、著者が国際的な視点で描写しているので、日本の学校教育が非常にエキゾチックなものに写ってしまう。なんというか、よくできたSFを味わう感じに近いものがあるね。

さて、今日は「日本を滅ぼす教育論議」に関連した、ボーイスカウトの方のブログを取り上げてみる。これまた刺激的なエントリーであった。

「班での活動が学校では少ない」と言うことは、その分ボーイスカウトでは「効果的に」班での活動が行われる可能性がある。日本はその逆。同じプログラムをやっていると仮定すると、日本の方が効果が少ないという可能性が想定できるわけです。
班の意識: スカウティング研究センター 事務局の日記


確かに、日本を滅ぼす教育論議 (講談社現代新書)では、以下のような記述がある。

例えば、「班の中での助け合い」や、「全員が何らかの役割を持つこと」や、「優れた子どもが班長になるのではなく、順番性になっている」といったことが、「これらを通じて、ひとりは全員のために、全員はひとりのために、といった精神が培われている」とか「きわめて平等主義的な教育だ」などと言った論評とともに、世界に紹介されてきたのである。


裏返せば、「日本を滅ぼす教育論議 (講談社現代新書)」では世界の義務教育では「班行動」は例外なものだと主張している。この事と、ボーイスカウト活動を併せて考えると、なかなか面白い。そして、日本で「ボーイスカウト」が下火になっている理由も、分かるような気がする。

つまり、ボーイスカウト活動は、日本以外の国では学校教育の補完と言う要素が多分にある事になる。「班別行動」のような、集団生活をする上で基本的なことを教えてくれるボーイスカウト活動は、親から観ても魅力的に写るのではないだろうか。

逆に、日本では義務教育で「班別行動」を教えているわけであり、ボーイスカウト活動に対するありがたみがないことになる。学校行事として、日本では林間学校やキャンプを普通に行っている訳であり、この意味でも「ボーイスカウトならでは」と言う要素に欠ける。

と言うような、専門家の間では議論されているであろう事をつらつらと考えてしまいました。ボーイスカウト活動に対する批判というわけではなくて、「学校教育とボーイスカウト活動の相互補完」というテーマが魅力的に写ったんで、何か考えたくなっただけなんですよ。