新渡戸稲造と野球害毒論が盛り上がっている

明治時代には「ゲーム脳の恐怖」ならぬ「野球脳の恐怖」が存在した!

便乗してみるか。野球害毒論を語らせたら日本で右に出るものはいないであろう、横田順弥氏の著書である、古本探偵の冒険 (学陽文庫)より、二、三クリッピングしてみる。

明治四十四年に<東京朝日新聞>(現・<朝日新聞>)が、野球は害毒だといってキャンペーンを張った時に、京大の講師だった小西の父親が、息子の頭が悪くなったのは、野球を覚えたせいで、手の平に当たったボールのショックで脳がだんだん悪くなる。これは生理学的にも証明できるといったのだそうだ。

小西得郎氏の著書である「したいざんまい」にこの部所が掲載されていたらしい。蛇足であるが、小西得郎氏は言わずと知れたセ・リーグ初代優勝監督にして野球殿堂入りした方である。

あまり知られていないが、明治四十四年の八月二十九日から、<東京朝日新聞>は「野球と其害毒」と題して、以後二十二日間にわたり、野球攻撃のキャンペーンを張ったことがある。

これに対して、大の野球推進・擁護論者だった冒険・SF作家の押川春浪は、<読売新聞>、<東京日日新聞>(現・毎日新聞)などの協力を得て、野球擁護キャンペーンを張った。これが、いわゆる「野球害毒論論争」と言う奴だ。

確かに、明治時代では野球が目の敵にされていたのかも知れないが、一方では、強烈な擁護者が存在していたのだ。

ちなみに言えば、野球害毒論論争は、共倒れの結果しか生まなかった。朝日新聞でキャンペーンを張っていた中心人物は、この失敗と、他にも失敗が重なったせいで朝日新聞を退職することになり、一方の押川春浪も論争そのものは勝利に終わったが、勤務先である博文館の上司と対立することになり、退社することになってしまう。

最後に、ネットで読める野球害毒論論争情報を少し紹介してみる。
http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/qc-gaidoku.htm
http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/qc-taido.htm
http://homepage3.nifty.com/digineba/eraikoto21.htm