SFの衰退?

ちょっと前のエントリーだけど、興味深かったので引用。

ライトノベルが批評されることで衰退していくのではないか、かつてのSFと同じ道を歩んでいくのではないか、と心配する向きもいる。だが私はそれを杞憂と断じる。なぜならライトノベルはジャンルではない、ゆえに閉塞はしない。あらゆるジャンルを自由に渡り歩き、貪欲にあらゆる要素を取り込んでいく。たとえ外からの目にさらされ、定義の枠を嵌められようとしても、ライトノベルの渾沌はそんな外圧など跳ね返すだろう。一ライトノベルファンとしてそう信じる。
http://novel.no-blog.jp/minkan/2005/10/post_8b09.html


何が興味深かったかというと、下に引用する文章と比較すれば分かってもらえるかな。

SFの偉大な編集者、故ジョン・W・キャンベル*1は、よくこういったものである。SFはその領域の中に、過去と未来、ありそうなもの、ありそうもないもの、現実的なもの、幻想的なもの−考えうる全ての社会を含んでおり、それらの社会の中で起りうる全ての事件と複雑な問題を取り扱う。いわゆる"主流小説"−現在のこの場だけを扱い、あまり変りばえのしない、真実めかした事件と人物だけを描く小説は、全体のごくささいな一部分を形作るにすぎない、と。
Dr.アシモフのSFおしゃべりジャーナル(講談社) P24-25


のべるのぶろぐでは、「ライトノベルはジャンルではない」と言っているが、アシモフの言葉を見る限りSFもジャンルではなく、入れ物だった時代があったと言うことになる。ジャンルでないSFが衰退した以上、ジャンルでないライトノベルが衰退する可能性がある。ライトノベルが衰退しないためには、SFがなぜ衰退したのか、考える必要があるのではないか。歴史は繰り返すのだ。

なぜSFが衰退したのか。私見では、SFの領域が拡大しすぎた事が原因ではないかと思う。SFと一般小説の領域が重なってしまったため、一般小説の中でもSF的なものを扱えるようになった。キャンベルの言うところの「主流小説」でも、「過去と未来」「ありそうでないもの」や「幻想的なもの」を語れるようになってしまい、あえて、「SF」と名乗る必要がなくなってしまったのではないか*2

そして、SFの領域が広がりすぎたために、コアに位置する方々がジャンルを再定義してしまったことが決定的な要因だと思う。この時点で、SFは入れ物から、ジャンルへと変貌してしまったのだ。

ジャンルの再定義とは何か、具体的に例を挙げると、「ガンダムはSFじゃない論争」こそ、SFを狭いものに押し込めてしまった原因ではないかと思う。私はガンダム放送時は幼児だったので、この論争に直接立ち会ったわけではない。ただ、この論争がSFの領域を狭める決定打になったのではないかと思う。

ただし、ジャンルとしてのSFが衰退したとはいえ、SF全体が衰退したわけではない。ライトノベルの一部に取り込まれているようだし、SF的な要素を持った漫画やアニメは枚挙にいとまがない。SFがまいた種は、豊かな果実が実っていると思う。ただ、それをSFと言わなくなっただけの話である。

*1:SF作家としても一流であり、同時にSF雑誌の伝説的な編集者

*2:これがいわゆる「浸透と拡散」なんだろうね