著作権を道路に例えると

上で書いたことで思ったんだが、著作権を道路にたとえて考えると、わかりやすいような気がしないでもない。もちろん、本質を突いているわけではないので誤解を招くかもしれないんだが。ちょっとやってみようか。


著作権
道路を造った人に、通行規制の権利を与えるもの。


著作権のネット対応
道路を造った人には通行規制の権利が与えられる。このままだと、鉄道を作った人には権利が与えられない事になってしまう。そこで、ルールを追加して、鉄道を引いた人にも通行規制の権利を与えようというもの。それに対して、「鉄道はみんなのものだ。規制をかけない方が結果的に町は発展するじゃないか」と言う主張の方もいる。どちらが正しいのかは、民主主義的に判断する他はない。


立場の弱い権利者
制限速度は表示してあるが、権利者の力が弱いため、利用者に好き勝手に道路を利用されてしまう。この場合、力の強い団体に権利を預けるとか、権利者が集まって数の力を頼みにするとか、対策が必要である。


問題のある権利者
道路を造ったにもかかわらず、「制限速度を表示してない」とか「通行止め」と言う標識一つですませてしまう方々のこと。道路を使いたい人が使おうとしても、この道路は通っていいのかわからないので、混乱に陥ってしまう。また、いつしょっぴかれるかびくびくしながら道路を使うことになってしまう。


クリエイティブ・コモンズ
道路の通行規制方法のテンプレートが用意してあるので、どんな素人の権利者でも簡単に標識をたてる事ができる。しかし、どのように通行規制を行うかは権利者に任されるので、力が弱い権利者に取ってはあまり意味がないとも言える。


JASRAC
通行止めをかけることは一切ないが、細かく細かく通行規制を行っており、取り締まりも頻繁に行っている。車だろうがオートバイだろうが、歩行者だろうが幼女だろうが、犬だろうが猫だろうが金を取り立てるので非常に評判が悪いが、とにもかくにも道路を利用する事だけはできる。


アニメ会社
標識が何もないケースが多いが、通行止めと言う標識を出している場合もある。しかし、取り締まりを行うことは滅多になく、それを見越して自由に道路を使っている歩行者で道がにぎわっている。しかし、安心してはいけない、にぎわったところで一網打尽にする作戦かもしれないぞ。


いろいろ書いてみたけど、お遊びの域を出ないな。これは。