背景が違えば、解釈も違う

このエントリーは、さっきのような言葉遊びでもなく、重箱の隅をつつくようなものではないものにする(予定)。

白田先生のエントリーと、岡本氏の文章を比較すると、「規制」に対する考え方の違いがよく分かる。白田先生が仰っている、「論者の背景知識や立場の違い」によって、論者の考え方というものがいかに異なるかを知る、良い材料になっていると思う。


岡本氏の規制に対する考え方を抜き出してみる。

これに対して「規制」とは、本来は人が自由にできるべきことについて「官」が「民」をコントロールする制度のことであり、例えば「建蔽率とか容積率とかについて、行政が作った基準を満たして許可を得ないと、自分の土地に自分の家を建てることもできない」というのが「規制」である。
著作権の考え方」(岩波新書

つまり、岡本氏は、規制というものを「行政」が「民間」をコントロールする制度と定義づけている。国家が制定した法律によって市民が縛られるとか、裁判所の判決によって市民が縛られるといった、そのような行為は「規制」だとは考えていないのだ。


対して、白田先生が規制というものに対して抱いている考え方は、

先に説明したように、著作権法がなければ私たちは著作物の複製物を好きなように使い放題だったものを、ベルヌ条約を根拠として国が定めた法律である著作権法によって「規制されている」と見ることができるはず。
http://www.welcom.ne.jp/hideaki/hideaki/mrmakino.htm

つまり、白田先生は国家によってコントロールされているものは、全て規制と考えているのだ。法律は規制であり、裁判所の判決も規制と言うことになる。どっちがいいか悪いかではなく、論者の背景によって主張が異なる、いいお手本ではないだろうか。


背景の違いとはどういう事かというと、岡本氏は長いこと官僚であったので、官僚式の考え方が身に付いている。官僚の立場だと「規制」とは行政によるコントロールを指し、それ以外の意味には使わなかったのであろう。つまり、岡本氏が言っているのは官僚用語としての「規制」を使っているのだろう。


一方、白田先生は、著作権法によって、一般市民の創作活動や表現が制約されていると考えている方なので、一般的な意味で「規制」と言う言葉を使っている。岡本氏が官僚用語として「規制」と言う言葉を使ったが、白田先生はその「規制」と言う言葉を、自分がいつも使っている、いつも考えている意味での「規制」だと受け取ったのであろう。