日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されてなどいない

日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている | 音極道茶室(旧アーカイブ)

本来あるべき著作権の議論から見れば、明らかにバランスを欠いている。このアンバランスさに全く違和感を感じない日本人は、知らず知らずの内に「ゆがんだ著作権意識」に洗脳されているのではないか。


答えは違うところにあると思う。と言うか、誰も著作権の議論などしていないのに、著作権の話に持ち込もうとしているところに無理を感じる。この問題で「森氏を批判して、川内氏を擁護している方々」は、川内氏に著作者人格権が与えられているからではなく、森氏の対応に納得のいかないものを感じているからではないだろうか。森氏と川内氏を比較して、森氏より川内氏の方に筋が通っていないと思っている人が多いと言う事なのだろうと思う。

森・川内騒動で思ったことは、日本人は「クリエイターにリスペクトを抱いている」「筋を通すことを重んじる」と言う、2つの意識が強いようだ。と言うことは、この2つの意識が著作権法に反映されていると考えた方が自然ではないだろうか。「ゆがんだ著作権意識」に日本人が洗脳されているわけではなく、日本人の国民性が著作権法に反映された結果、著作者人格権が強くなったのではないか、と思う*1


そして、実際問題「オリジナルは基本的に絶対で不可侵」だという感覚は、日本人の中に無意識のうちに定着していないか。裏を返せば、著作物改変という行為そのものに必要以上の罪悪感を感じてしまう意識。


この意見に同意。付け加えるのならば、「オリジナルを作ったクリエイターも基本的に絶対で不可侵*2」と言う感覚も持っていると思う。そして、この感覚は著作権が認識される前から存在しており、この感覚が著作権法に反映されているのではないかというのがまとめ。

*1:日本人に限ったわけでもないと思うが

*2:日本人がJASRACをはじめとする権利者団体を嫌うのも、この意識が反映しているだろう