何にお金を払っているのか

新古書店の問題は、著作権法でどうにかするべきではない、と言うことを最初に言っておく。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/05/post_1142.php
森博嗣氏のよくあるタイプの新古書店批判。というか著作権があるからなんだというのか。 或いは むしろ燃やせ。 - 万来堂日記3rd(仮)

ざっと眺めてみたが、見事なまでに話がかみ合っていないように思われる。森氏が問題にしているのは著作権であり、旅烏氏が問題にされているのは著作権法であろう。そして、森氏は著作権法をどうこうしようとは思っていないだろう。


森氏の考え方はhttp://d.hatena.ne.jp/soel/20070514で簡潔にまとめられている。私が考えるに、森氏は著作権料を「情報の対価」と考えているのだろう。


新刊本を買うのと、古本を買うのと何が違うのかを考えてみると、本の買い手に取っては何も違わない。本が欲しい人は情報が欲しいわけであって、本そのものが欲しいわけではないのである。従って、同じ情報が手に入るのなら、安いものを選ぶのは道理な訳であり、新古書店の隆盛も納得できるところではある。


一方、新刊本には印税が含まれているのに対し、古本には印税が含まれていない。つまり、新刊本を買う人はハードウェアとソフトウェア双方に対してお金を払っているわけであるが、古本を買う人はソフトウェアを無視してハードウェアにお金を払っていることになる。無視された側の著作者、理不尽な気持ちを抱くのは、当然の事であろうし、特に問題視する必要もないのではないだろうか。少なくとも、議論されるべき意見であるとは言える。


立ち読み*1に関しても同じで、書店はデータを売っているが、立ち読みは売り物であるデータを盗む行為そのものである。従って、犯罪者扱いを受けても仕方ないと考える。


だが、旅烏氏の仰るように、森氏の言っている事を著作権法の改正で解決しようとすると、大変な事になる。法改正によって中古品の販売を禁止しようとすれば、「なぜ本だけが中古販売を禁止されなければならないのか」と消費者から当然の主張がされるであろうし、本をプレゼントする際にもいちいち権利者の承諾を得ねばならない。法改正によって実現しようとするのであれば、非常な努力が必要とされる事は間違いがない。


ただし、作家側の団体と新古書店の業界団体が交渉して「新刊本は一定の期間取り扱いを中止する」「新古書店の利益を一部作家に還元する」などと団体間で決め事をするのは自由である。新古書店問題に関して、著作権法の枷を嵌める事には反対だが、当事者間で交渉した結果、作家に対価が支払われる方向に話がまとまれば、それは望むところではある。

*1:ここで言う立ち読みとは、購入を前提としない立ち読みを指す