津田さんのブログに思うこと

色々と思うことがあるので、とりとめもなく書いてみる。

つまりこれは、現実的には文化庁の思惑や権利者の主張とこの審議会の審議の動き方を見るに、「補償金なくしてDRMバリバリの世界にいくか、補償金払う代わりに今までの私的複製の自由な範囲はいじらない」という二択しか(この審議会においては)現実解として存在しえないだろう」と俺が判断して、そんな状況に対してある種皮肉混じりで発言した部分もあるわけです。
音楽配信メモ 「ダウンロード違法化/iPodの補償金対象化」がほぼ決定した件と、ITmediaの記事で抜粋されている発言についての補足


二者択一の問題ではないと思う。権利者側はDRMを自由にかけられる立場にあるわけで、審議会の結論を待つことなく、好き勝手にDRMをかけてしまえばいい。はっきり言えば、権利者がDRMをかけるのに補償金なんて持ち出す必要はない。

それでは、なぜ権利者が補償金を持ち出すか。それはね、権利者もDRMをかけると売れないことが分かっているからだ。権利者はDRMをかけたくてたまらないが、DRMをかけても売れない。それならば、せめて(雀の涙ほどの)補償金で埋め合わせにしようと思っているのだろう。権利者側がDRMを持ち出すのは、補償金を引き出すための戦術であり、ブラフだろう。

一方、DRMをかけたくてかけたくてたまらない方々も存在する。そう、JEITAの方々だ。彼らはメーカー側であり、音楽補償金を支払わされている*1方々だ。メーカーは補償金が大嫌いである。つまり、補償金がなければその分利益になり、その分値下げすることができるからだ。実際に、彼らはDRMの存在により、補償金は必要ないと主張している*2


私の見方では、補償金で解決したいのは権利者側であり、DRMで解決したいのはメーカー側である。裏返せば、文化審議会は、補償金制度のあるべき姿を議論する場ではなく、権利者とメーカーが互いの利害をぶつけ合い、少しでも自分たちに有利な条件を引き出そうとしている場であると私は考える。

権利者とメーカーがぶつかりあう分には多いに構わないのだが、ユーザーの利害が無視されているのが文化審議会の問題である。ユーザーの利益がスルーされており、どのような制度ができようと、ユーザーがメリットを受けることはないだろう。


私の考えとしては、ユーザーの利益を無視するような審議会には意味がないと考える。そして、文化庁著作権行政から手を引くべきであるし、文化審議会著作権法を改正するのは辞めるべきだとも考える。しかし、文化庁著作権行政から手を引くと、ユーザーに取っては世紀の暗黒時代が訪れるのも、現状を見る限りは確実であると言える。

*1:実際には補償金を払っているのは消費者なのであるが

*2:著作権者等」の意思でコントロールできる利用は、コピー可能回数の大小に拘わらず、コピーに伴う重大な経済的損失はないはず。⇒ 「補償」の必要なし」と発言している