冷戦下の偵察機
- 写真撮影ばかりでなく、レーダーがどこで作動しているのかを探り当てることが重要な任務。
- パワードのU-2が、ソ連領空を飛んだ最後の有人偵察機だった。
- ソ連の意図を探るため、戦略偵察機による偵察が開始された。当初はB-29を改造したRB-29が使用された
- 1947年、放射能探知機を備えたRB-29によって、ソ連核実験の証拠が発見された
- 冷戦最初の犠牲はアメリカの戦略偵察機
- 朝鮮戦争でアメリカの国家緊急事態が宣言された。
- 朝鮮戦争の初期、ソ連に対してアメリカは電子情報戦で出遅れていた
- ミグ戦闘機の出現で、通信情報収集(コミント)が有効性を実証した。コミントは無線や電話など送信電波の監視
- ブルースカイと呼ばれた極秘プログラムにより、C-47は通信傍受のためのプラットホームに改造された
- RB-45の高性能カメラが、アメリカ戦略偵察機の標準モデルとなった
- 1951年、ソ連の二回目の核実験により、戦略偵察の重要性が注目を集めた
- 領空侵犯することで、電子防御装置の反応を誘い出し、データを分析した
- 老朽化したRB-50の後継機はB-47を改造したRB-47
- MiG-14やMiG-17の攻撃にさらされながらも、RB-47は任務を遂行した
- MiG-17のパイロットは追跡の最後にRB-47の乗員に対して敬礼した
- 電子戦用はRB-47H。操縦士、副操縦士、ナビゲーター。そして電子戦担当の将校が3人。
- 公海上でRB-47H撃墜。乗員4人死亡。2人は7ヶ月拘留。
- NSAの通信情報収集に使われていたRB-50の後継機として選ばれたのはC-130A2
- C-130A2の乗員は6人の飛行士と11人の空軍情報機関の専門家
- C-130A2 60528はソ連上空で撃墜。17人全員が死亡。
- C-130A2 60528が撃墜されるときの写真がソ連に残されている
- 60528の撃墜原因は、ソ連とトルコの航路標識の周波数がほとんど同じだったため