冷戦下の偵察機

  1. 写真撮影ばかりでなく、レーダーがどこで作動しているのかを探り当てることが重要な任務。
  2. パワードのU-2が、ソ連領空を飛んだ最後の有人偵察機だった。
  3. ソ連の意図を探るため、戦略偵察機による偵察が開始された。当初はB-29を改造したRB-29が使用された
  4. 1947年、放射能探知機を備えたRB-29によって、ソ連核実験の証拠が発見された
  5. 冷戦最初の犠牲はアメリカの戦略偵察機
  6. 朝鮮戦争でアメリカの国家緊急事態が宣言された。
  7. 朝鮮戦争の初期、ソ連に対してアメリカは電子情報戦で出遅れていた
  8. ミグ戦闘機の出現で、通信情報収集(コミント)が有効性を実証した。コミントは無線や電話など送信電波の監視
  9. ブルースカイと呼ばれた極秘プログラムにより、C-47は通信傍受のためのプラットホームに改造された
  10. RB-45の高性能カメラが、アメリカ戦略偵察機の標準モデルとなった
  11. 1951年、ソ連の二回目の核実験により、戦略偵察の重要性が注目を集めた
  12. 領空侵犯することで、電子防御装置の反応を誘い出し、データを分析した
  13. 老朽化したRB-50の後継機はB-47を改造したRB-47
  14. MiG-14やMiG-17の攻撃にさらされながらも、RB-47は任務を遂行した
  15. MiG-17のパイロットは追跡の最後にRB-47の乗員に対して敬礼した
  16. 電子戦用はRB-47H。操縦士、副操縦士、ナビゲーター。そして電子戦担当の将校が3人。
  17. 海上でRB-47H撃墜。乗員4人死亡。2人は7ヶ月拘留。
  18. NSAの通信情報収集に使われていたRB-50の後継機として選ばれたのはC-130A2
  19. C-130A2の乗員は6人の飛行士と11人の空軍情報機関の専門家
  20. C-130A2 60528はソ連上空で撃墜。17人全員が死亡。
  21. C-130A2 60528が撃墜されるときの写真がソ連に残されている
  22. 60528の撃墜原因は、ソ連とトルコの航路標識の周波数がほとんど同じだったため