ジャーナリストか応援団か

日経BPで「宇宙開発を読む」と言う連載がはじまった。筆者は松浦晋也氏。第一回目は「低コスト化で岐路に立つM-Vロケット」と言うタイトルで、全四回の連載と言うことだ。今日の連載で、二回目という事になる。


低コスト化で岐路に立つM-Vロケット(1)〜表面化する日本のロケット開発力の衰退 - ビジネススタイル - nikkei BPnet
低コスト化で岐路に立つM-Vロケット(2)〜失敗が生かされない設計の裏に旧組織からの確執 - ビジネススタイル - nikkei BPnet


タイトルから分かるように、日本の宇宙開発を批判されておられる。宇宙開発の記事を書く人は少なく、批判的な記事を書く人はさらに少ない。その意味で松浦氏の存在は大変に貴重ではあるのだけど、今回の連載に関しては、今のところ疑問符を付けざるを得ない。

なぜ疑問符を付けるのかというと、今のところ、M-Vありきの連載の様に思う。「美しい芸術品であるM-Vが旧NASDAによって潰されようとしている。これは大変だ」と言う危機感を持って書いているような気がして成らない。もっと言えば、旧ISASの主張を代弁しているのではないかと思っているわけである。

糸川博士の流れを組む、旧ISASの歴史と伝統が貴重なのは分かる。確かに旧ISAS内之浦には、技術者と研究者が手弁当で仕事をしていた、旧NASDAにはないような楽しさがあるのだとは思う。旧ISASが旧NASDAに併合される事に危機感を覚えているのは分かる。しかし、松浦氏が論じるべきはそこなのだろうか。


「日本に二系統のロケットは必要なのか」
「旧ISASが独自のロケットを持つことが必要なのか」
「小型衛星の打ち上げなら海外でおこなってもいいのではないか」


それらの疑問に解答し、「日本の宇宙開発にはM-Vが必要」だと言う事を示してから、旧NASDA側の動きを批判する事が必要なのではないか。そうでないと、松浦氏がM-V固執している理由が読者には伝わってこないと思う。

私は、松浦氏の事を信頼できる「ジャーナリスト」だと思っているが、今回の連載に関する限り、今のところは「M-V応援団」なのではないかと思っている。