非医療者側から見た無過失補償制度

もう一方で患者側からの視線を考えなければなりません。患者側からの視線もいくつもあり、これまでも御指摘のあった医療ミス隠し的な問題や遡及措置の問題なども重要ですし、考えを巡らす必要があるのですが今日は保留としておきます。
続々々無過失補償制度を厚生労働省が検討 - 新小児科医のつぶやき

確かに「無過失補償制度」と言う名前自体は、不信感を招くものがありますね。Yosyan氏も仰ってますが、「金の力で訴訟を起こさせない」と言う意図が含まれているように感じます。ただ、個人的にはある方の講演録を見て、考え方を変えさせられてしまいました。今では、無過失補償制度は絶対に必要なものだと考えております。産科領域だけでなく、医療全般に対して必要だと考えるようになった訳です。

不完全技術であるならば同様の事故の危険は避けられない。我々の社会は危険に対応する知恵を蓄えてきたし、そのような機会に対応するシステムの向上をはかることは医療の本質から必須のことである。ことが起こるたびに何年もかけて裁判をしなければ被害にあった人の救済ができないというのは貧しい社会であり、被害者にとって2 重3 重の苦痛である。単なる医療過誤は別として、医療の本質から避けがたい出来事に対しては、アメリカのIMO が言うように、まず被害者の救済が先行するという無過失保障のシステムをつくるべきである。それが我々の社会の進歩と言うものではないだろうか。
HIV 問題から何を学ぶべきか

医療システムが不完全なものである以上、避け得ない被害は必然的に発生する。しかし、現状ではこのような被害に対しても裁判を起こす以外には補償の道はない。避けがたい出来事に関しては無過失補償のシステムを作るべきだという、一分のすきもない見解です。このような文章に、私は反対する術を知りません。なお、この講演を行った方は、かの郡司篤晃氏です。面識がまるでないのですが、この講演録を読む限り、優秀な官僚らしく論理的で緻密な思考が行える人だったのだなと思います。このような方が行政官としての未来を閉ざされてしまったというのは大きな損失ではないでしょうか。


このように、私は全面的な無過失補償制度の導入を支持する訳ですが、それにあたっては真相を究明するシステムの構築が前提となります。避けがたい出来事に対しては無過失補償制度を適用するべきですが、無過失補償制度が避け得るミスにまで適用される事には反対します。誰がこのシステムを構築するのかと言うと、当然医療側という事になりますが*1、これが難しい。勤務医に団体がないことが、大きな障害になってくるように思います。

*1:患者、学識経験者、法曹家、行政がシステム作りに関与するのでは、医師が納得するようなシステムは作れないでしょう