雷句先生の訴訟に対する違和感


雷句先生が訴訟を起こした原因については「原稿紛失が問題ではないんだよ」という声をよく聞く。一つには漫画家と編集者の立場の違いであり、一つには自分の好きなものを書かせては貰えないと言う事があるとの理由だそうだ。


しかし、これが本当であれば、雷句先生は大きな考え違いをしていることになる。民事訴訟の場に置いて、漫画家と編集者の立場問題、漫画の構造的問題など解決しないからだ。民事訴訟は「損害に対する賠償」でしかない。極論を言えば「損失を被ったから金をよこせ」と言う話になってしまう。陳述書の言葉を借りれば「あまりにも編集者、出版社と言う物が漫画家を馬鹿にし始めたから、賠償しろ」と言う話になり、お金の問題に終始してしまうことになる。


実際の訴訟の場では、「原稿なのか美術品なのか」「小学館の過失はどの程度だったのか」「原稿料の価値はお金に直すと幾らなのか」「雷句先生の精神的苦痛は幾らなのか」と言う、本質からずれた議論に終始してしまうことになるだろう。医療訴訟で真実が明らかにならないのと同様に、この訴訟でも、雷句先生が問題にしたかった事は解決しない。



個人的に疑問なのは、雷句先生ほどの立場の漫画家であっても、少年サンデー編集部にものが言えないものなのだろうか。例えば、編集者の態度に不満を抱くことはあっても、編集者の交代を編集部に要求したという話は陳述書には出てこない*1。また、金色のガッシュの連載引き延ばしについても、陳述書を読む限りではファクスを編集部に送りつけただけで、その後の交渉の話が出てこない。

私は右手の骨を折った時、2005年12月13日に「ファウード編終了後、後1年で金色のガッシュ!!の連載を終わらせてください。その後週刊少年サンデー、及び(株)小学館のお仕事を全てお断りさせてください」とのお願いをFAXにて送りました。
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html

雷句先生ともなれば、既にビッグネームであり、大ヒット漫画家なので、少年サンデー編集部と交渉する余地はあったのではないだろうか。新人漫画家がこの訴訟を聞いたらなんと思うだろう。「雷句先生ほどの方でも、編集部とは交渉せず、編集部の言われるままに漫画を書かなければならないんだな」と思うかも知れない。漫画家の立場が弱い事を自覚してしまうのではないだろうか。


雷句先生が漫画家の地位向上、立場の向上を目指しているのであれば、訴訟よりも先に、少年サンデー編集部との交渉を行うべきだったと思うのだが、これはあくまでも素人の意見である。プロの目から見れば批判する点が多くあると思うので、忌憚のないご意見を頂ければ幸いに思います。

*1:陳述書に出てこないだけかも知れないが、交代を申し入れなかったのと、交代を申し入れたが、受け入れられなかったとでは話が違ってくる