医師不足の責任の所在


昨今、日本では医師の不足が叫ばれている。医師の過重労働は言葉では言い表せない位に大変という事は聞いているし、色々な報道を読んだり聞いたりしていると、医師が足りないのは確かである。そして、ここ数十年、日本国政府が医師数の抑制、医学部定員の削減に励んできたのは確かだろうし、医師不足を政府の責任と言いたくなる気持ちは分かる。


しかし、このエントリーではもう少し掘り下げてみる。政府がなぜ、医学部の定員を抑制したかったのか、合理的な理由があるのではないかと言う立場で考えてみる。


国会会議録から、ある発言を取り上げてみよう。

○菅野壽君 医師数増加の経緯についてでございますが、医師の養成については、昭和四十年代に入りますと、国民皆保険制度の定着に伴いまして、医師需要の増加や医療水準の向上の要請に対応しまして、大学医学部の拡充が行われました。とりわけ、厚生省による昭和六十年を目途に人口十万人当たり医師数を百五十人にするために四、五年内に医科大学の入学定数を六千人に引き上げる必要があるとの見通しの見解が出た昭和四十五年以降、四十八年までに十七校が新設され、医学部入学定員は六千二百人となりました。さらに、その後も国の無医大県、医師のいない県でございますね、解消構想や私立大学の相次ぐ設置申請もありまして、昭和五十六までに防衛医大を含む十八校が新設され、定員は八千三百六十人となりました。
 この結果、人口十万人当たり医師数を百五十人にするという当初の目標は、地域にばらつきもありますものの、国内全体では二年早く昭和五十八年に達成され、今度は逆に医師過剰の危惧がなされるようになりましたことは御承知のとおりでございます。
 このように、現在の医師過剰問題は、昭和四十九年以降に行われた将来展望を欠いた定員増、これに端を発しているとも言えるのではないでしょうか。
 そこで、当初の目標を二千人以上も上回る定員増がどうして行われたのか、この点について文部省にお伺いしたいと思います。
参議院決算委員会 3号 平成01年11月15日


どうやら、菅野壽議員が政府(文部省)を追及しているようだ。議員が政府を追及しているのは現代と構図が変わらないが、追求している材料が180度違う。現代では医師不足で政府が追及されているが、二十年前は医師が過剰だという事で政府が追及されている。平成元年当時は、現在の医師不足並に医師過剰が問題とされている事が分かる。


会議録を読み進むにつれて、政府は好きで医師数を抑制していたり、独断で医師数を抑制していた訳ではなく、当時の日本社会が医師数の過剰を問題にしており、政府は社会の空気に従ったに過ぎないという事が分かってくる。医師不足など影もかけらもなく、問題とされていたのは医師の過剰だったのだ。平成元年当時は医師数の削減が議論される事が自然な事だったのだろう。


さて、医学部の定員増に対し政府を追及している菅野壽議員とはどのような方なのだろう。どのような立場の人が医師過剰について問題意識を抱いていたのか、知りたくなったのでwikipediaをひもといた。

菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年8月21日)は日本の元参議院議員(連続2期・在職12年)、元日本医師会常任理事、医師。勲二等瑞宝章。医学博士(新潟大学)。

宮城県桃生郡北村(現石巻市)出身。旧制石巻中学から1947年日本大学医学部卒業。1972年東武中央病院(埼玉県和光市)開設。菅野総合病院(同)理事長、埼玉県医師会理事、常任理事を経て、1982年から1984年まで花岡堅而会長のもとで日本医師会常任理事を一期務めた。1989年第15回参議院議員通常選挙比例代表区日本社会党から出馬し初当選、連続二期。
菅野壽 - Wikipedia


なんと、医師である。しかも、日本医師会の常任理事を務めた後、参議院の議員として当選している。つまり、菅野壽議員は医師会の代弁者として、国会で政府を追及している可能性が高い。と言うことは、日本医師会が医師過剰を問題視しており、医学部の定員削減を主張していたという事になり、政府は医師会の主張に沿って動いていたとも考えることができる。日本医師会は、形式的には医師の利害を代表する団体であり、医療に関しては日本政府も医師会の意見を無視するわけにはいかないと思う。今ならいざ知らず、これは二十年前の話だから、影響力は絶大であろう。政府が医師削減に走るのも無理はないのではないだろうか。


誤解しないで欲しいが、私は医師不足の原因が日本医師会にあるとは思わない。当時の日本社会が医師過剰を問題視していたのだろうし、当時の日本社会が医師数の抑制に動いたという事だと思う。今日の医師不足の問題は、誰に責任があるわけでもない、社会全体の責任ではないだろうか。従って、責任を取るのは社会全体という事になる。


しかし、当時の日本医師会が医学部の定員削減を主張した以上、日本医師会も責任の一端を引き受ける義務があると思う。現在の日本医師会医師不足に対してどのような主張を述べているのかは分からないが、この期に及んで「医師不足の責任は厚労省にある」「医師不足の原因は政府の失策にある」などと主張していない事を望む。日本医師会医師不足の責任を他に押しつけられる立場にはいないのだ。