いまさら夏への扉でもないでしょう

はてなブックマーク - 不倒城: 海外SFを読んだことがない人に、海外SF入門としてお勧めしたい四冊
いくつか「夏への扉」に触れているコメントがあるが,夏への扉を初心者にすすめるのは疑問なんですね.なぜかというと,古いから.描写のところどころが古く,そこに違和感を持ってしまうんじゃないかなと思うんだよね.


例えば,次のような描写.

 ここに,トーゼン記憶チューブが登場する.われわれが報復攻撃に用いた大陸間ミサイルも,このトーゼン・チューブによる"思考力"を持っていた.ロサンジェルスの交通管理システムに用いられているのも,同様の記憶装置である.ぼくらはここで,ベル研究所ですらが十分に解明し得ない難解なエレクトロニクスの原理にまで深入りする必要はない.

チューブですよ,チューブ.半導体が全盛のこの時代に,チューブというのはさすがに違和感が強いと思う.もちろん,時代背景を考えれば当然だし,ハインラインの技術描写はゾクゾクするものがあるのは確かなんだけど.


あと,こんな描写もある

 ところがこの器械を使えば,製図者は大きな安楽椅子に座ったまま,キイをたたくだけで,キイ・ボードの上に備えたイーゼルに,思いのままに図を描くことができるのだ.三つのキイを一度におせば,任意の場所に水平線が現れる.つぎのキイをおすと,垂直線が現れてこれと交叉する.二つのキイをおし,つづけてまた二つキイをおすと,厳密な傾斜角を持った斜線がひけるという塩梅である.これに細工を加えて,等角頭像の設計デザインもできるようにしよう.

もちろん,これは「CADなんか影も形もない時代*1にここまで未来を予測したハインライン半端ない」と読むべきであって,古くささを責めるべきではないというのは分かる.しかし,SFに慣れていない人や,SF初心者に取ってはどう思うのだろう.違和感が先に立って,楽しく読めないかも知れない.



別に,夏への扉が嫌いという訳ではない.むしろ,大好きな小説であるし,過去にエントリーを書いたこともある.夏への扉のすごさの一つは,1957年に書かれた本でありながら,本質は今でも輝きを失わないところだろう.今に通じる描写,今でも通用する考えがふんだんに織り込まれている.

オートメーションのまだ浸透していない最後の領域はどこか? 僕は考えた.いわずと知れた家庭である.それも,一家の主婦のいる家庭.ぼくは家そのものに自動装置を施したスイッチ式の家などを工夫しようとはしなかった.女はそんなものを望みはしない.彼女らの望んでいるのは,たとえ崖の下の洞窟でも,その中に便利な家具類の備わった家なのだ.

もしこれが実現すれば,全世界の女性を,長いあいだの家事への奴隷的束縛から解放し,いわば第二の奴隷解放宣言をするに等しい意義があるのだ.ぼくは,"女の仕事に際限はない"というあの昔ながらの格言を辞書から抹殺してやりたかったのだ.家事は無限に繰り返される不必要きわまる苦役である.これが,前から,家庭用品技術者としてのぼくの誇りを傷つけてきたのだった.

家事に対してこの様に思い入れあふれる小説は過去には存在しなかっただろうし,おそらく未来にも存在しないのではないかと思う.そして,この指摘は半世紀以上立った現在でも通じるどころか,未だに一部しか実現されていない.ハインラインの技術と社会を予測する視点は,まさに一級のものだと思う.しかし,この様な事を読み取ることができるのは,ある程度SFに慣れた人ではないかと思うのだ.つまり,夏への扉は初心者向けではない.初心者は面食らって「なんだ,この小説.古くさいじゃないか」と思ってしまい,良さに気がつかないかも知れない.それはあまりにももったいない.


SF初心者に対して夏への扉をすすめる事は,野球漫画初心者に対して巨人の星をすすめる事と同等だと思うのである.

*1:いや,影も形もあったかも知れないが……