夏への扉に見るベンチャービジネス

82. 開発部の、営業部にたいする苦手意識を、小説にしてみました。:日経ビジネスオンライン
これを読んで,色々と触発されるところがあったので,エントリーを起こすことにした.

 幼女信仰や猫信仰やミソジニー以上に小説『夏への扉』を覆っているのは、「開発部」の、「営業部」にたいする不信である。

 ダニエルは、いまのままの小さい会社でやっていきたい、自分の目の届く仕事がしたい、と主張し、マイルズとベルはといえば、現状維持を考えていたのでは会社は生き残らない、拡大を目ざさなければ仕事自体がやっていけない、という考えを持っている。
82. 開発部の、営業部にたいする苦手意識を、小説にしてみました。 (4ページ目):日経ビジネスオンライン


「開発部」と「営業部」の対立にこの話を落とし込むのは,ちょっと違うかなと思う.ダニィがなぜ起業を考えていたかというと,自由が欲しかったからなんだよね.つまり,夏への扉という小説には,資本家や国家というものに対する強い不信感と,自由に対する激しい渇望があふれているのである.

以下,ハヤカワ文庫SF345 夏への扉 福島正美訳 二十四刷より引用.

ぼくの生まれたのは一九四〇年,世界中が,これからの世界は個人の尊厳など問題ではなく,全体こそが未来の主人になるのだと主張していた時代だった.父はこれを信ずることを肯んぜず,ぼくの名前も,こうした風潮に対する一種の挑戦としてそうつけたのだ.そして,時節の正しさを最後の最後まで証明しようとむなしい努力を続けつつ,北鮮で洗脳を受けて死んでしまった.
P.35

僕は機械工学の学位を持っていたので,徴兵で陸軍に取られたとき,将校への任官試験を受ける資格があったのだが,あえてそうしなかった.と言うのは,いつに,父親譲りの独立独行の野心にぼくが燃えていたためで,命令を与えず,命令を受けず,野心を持たず,とにかく義務だけ果たしたら一日も早く除隊になりたかったからだった
P.35

この様な強烈な独立心を持っているダニィが,マニックス財団の提携の申し出があったときにどの様に反応したかは,いうまでもないだろう.

「だめだよ,ダン.特許権でも確かに確かにある程度の金は入ってくる.それは認めるが,それではぼくらが自分の手で製産から販売までやった場合入ってくる金と較べものにならない」
「なにをいっているんだ,マイルズ.ちっともぼくらが自分の手でやることにはならないじゃないか.ぼくらは,マニックス財団に魂まで売り飛ばしちまうんだ.金のことにしてもそうだよ.マイルズ,きみはいったいいくらありゃ足りるんだ?」
P.63


マイルズとダンの考え方の違いが興味深いところではある.マイルズは大企業の傘下に入ってでも,利益が大きくなる方法を選び,ダニィはライセンス契約で製産・販売を他人の会社に任せ,自らは特許料で収入を得ようとする.この二つは哲学の問題であって,良し悪しの問題ではない.



そして,ダニィがしたかったことは,自分自身の主人になりたかったことであった.

ぼくは,なにも欲得づくで会社の指導権を握ったのではない.ただ一筋に,他人に従う身になりたくなかったから―自分自身の主人でいたかったからだ.
P.41

この「自分自身の主人でありたい」という言葉は,ハインラインの小説に一貫するテーマである.メトセラの子ら,愛に時間を,自由未来,銀河市民,etc....そして,アメリカ人の根底に流れている基本的な精神であり,アメリカをここまで大きくした精神であり,GoogleAppleの様な企業が次から次に生まれているのも,この精神が根付いているからだと思うんだよね.


ダニィがマイルズと仲違いしたのは,開発と営業,実務と技術との問題ではなく,「自分自身の主人でありたい」と言う事にダニィがこだわり,マイルズがこだわってなかったと言う事だと私は考える.そして,その精神が,この小説を不朽の名作に仕立て上げているのではないだろうか.