LinuxとGPLと著作権


こらあかん - おおやにきを読んでピンと来たので、リンク先を辿ってみるとやっぱり岡本氏の発言に言及されていた。

というのはJASRACLinuxは同じという一見逆説的な書き方で、要するにみんなで一緒に権利を行使するのがJASRAC、みんなでいっしょに行使しないと誓ったのがLinuxという話なのだが、しかし誓った本人はいいとして子孫や親族が相続後に権利行使すると言い出したらどうするのか、やっぱりJASRAC同様に契約を通じて中央に権利を集めた上で行使しないという話にしないといけない……と書いてあってあれいやGPLは?
雑感 - おおやにき


GPLに関しては不勉強もいいところなのであるが、この点に関してちょっと気になる記述を見つけた。著作権に抵触している事を承知で、全文転載してみる

歴史上ほとんどのフリーソフトウェア・プログラムはアメリカ合衆国の法の下で最初に発表されてきましたが、アメリカ法の下では著作権を登録することに手続き上非常に重要な利点があります。GPLによって伝達される幅広い頒布権にも関わらず、著作権の行使は一般的に頒布者には不可能で、著作権者か著作権を譲渡されている誰かのみが権利を行使することができます。著作権が主張される著作物に複数の作者がいた場合、著作権の行使が成功するかどうかは作者全員が協力できるかにかかっています。

私たちのすべての著作権が登録の記録やその他必要条件と適合することを保証し、GPLの権利を最も効果的に行使できるようにするために、FSFFSFのプロジェクトに統合されるコードを書いたそれぞれの作者に対して著作権の譲渡をお願いし、必要な場合には雇用上そのプログラマの雇用主に生じたあらゆる所有権の主張が放棄されているという声明文(disclaimer)を提供して頂くことにしています。これにより、私たちはFSFのプロジェクトのコードすべてが、私たちがその自由を最も効果的に保護でき、それによって他の開発者も完全に信頼することができることができるフリーなコードであることを保証できるのです。
なぜFSFは貢献者に著作権の譲渡をお願いしているのか


LinuxGnu、GLPに関しては岡本氏の認識が間違っている可能性があるのだが、GPLによって再配布や改変の制限が担保されているのであれば、なぜFSFGPL作者に著作権の譲渡をお願いしているのであろうか。


GPLに基づいているプログラムに関しても、作者が著作権を主張すると何かしらの問題が発生するのだろうか。確実に言えることは、FSFJASRAC同様に著作権の集中管理を行う姿勢を見せていることである。