そろそろフェアユースに対して一言いっておくか


実は、私はフェアユース導入論者である。それも、制限規定を全て外し、アメリカ流に権利制限規定を一般条項に集約するという方向が望ましいと思う。制度変更に伴う混乱は生じるだろうが、それもやむなし。フェアユース条項を導入して、法律のウエイトを減らし、契約と訴訟のウエイトを増加することで、著作権著作権行政を分かりやすくする事が、理想だと思う。



今ごたごたしている補償金問題も、フェアユース条項を導入すればスッキリしたものになる。今は権利者とメーカーとユーザーが、官庁を巻き込み、一生懸命調整を取り合っているが、フェアユースが導入されれば話は簡単である。権利者側がメーカーやユーザーを相手に「デジタル音楽プレーヤーを製作したメーカーや使用者は権利者に補償金を支払うべきだ」と言う旨の訴訟を起こせばいい。「デジタル音楽プレーヤーはプレースシフトにあたり、フェアユースだ」と裁判所が判断すれば、補償金は支払う義務はない。また、裁判所が「録音機器による私的利用のための複製はフェアユースの範囲を超えるもの」と判断すれば、補償金の支払い義務が出てくる。法案作りのために膨大な時間を費やす必要はなくなり、裁判所の判断だけで全ては丸く収まる。簡単なものである。ただし、裁判官が全てを決めるという事に、注意する必要がある。



中山教授は、以下のように仰っている。

今のアメリカの裁判官は、200年の判例の積み重ねの中から何がフェアかを見つけ出していけばいいわけですが、日本にはその積み重ねがありませんから、裁判官がこれからフェアの概念・観念をつくっていくことになります。それは裁判官にとっては重荷かもしれませんが、やらざるを得ないことですし、十分に可能なことだと思います。
中山信弘氏「著作権法に未来はあるのか」 BLJ Online|Business Law Journal - ビジネスロー・ジャーナル

フェアユースが導入された場合、裁判官がフェアの概念・観念を作っていく事になる。つまり、判例によって築き上げられたフェアの概念が、利用者に取って現行著作権法以上に厳しいものになる可能性ある。フェアユースを導入する事で、利用者に厳しい著作権法になったとしても、それを受け入れることができるのかどうか。


フェアユースを導入するという事は、裁判所の判断を信頼し、裁判所の判決を全面的に受け入れる事を意味する。逆に言えば、裁判所の判決が受け入れられないのであれば、フェアユースを導入する意味がない。さて、日本人は、そこまで裁判所を信頼しているのだろうか。