夏への扉 落ち穂拾い

夏への扉の魅力の一つに、文化女中器、製図器ダン、万能フランクなど、さまざまな発明品が想像力豊かに描写されていると言う事だと思う。しかし、ハインラインの真骨頂は、未来社会の描写だと思うのだ。例えば以下のくだり。

「ごく簡単な経済問題だよ、あんさん。この自動車は政府が生産費維持貸付金に対する保証として認めている余剰製品なんだ。二年前の自動車だから、絶対売れっこない。そこで政府がぶち壊して鋼鉄工業会社に売りわたすわけさ。溶鉱炉ってものは、原鉱だけやってたんじゃ、引きあわねえ。やっぱし、スクラップの鉄も作らなきゃならねえのさ。いくら睡眠者だからって、そのくらいの理屈は知ってなきゃしょうがねえぜ。全くの話、程度のいい原鉱がいまじゃ滅多に取れねえで、スクラップに対する需要は増える一方なんだ。鉄工業にはこの自動車がなくちゃならねえのさ」
「しかし、最初から売れないのがわかっているんなら、なぜわざわざ生産するんです。無駄な労力だと思いますがね」
「無駄のように見えるだけさ。それともなにか、おまえは労働者を失業させてもいいというのか? 生活水準を下げようってのか?」

製図器ダンのような発明品に比べると、あまり面白みはないし、地味な描写ではある。しかし、地味な描写を丹念に積み重ねる事によって、世界のリアリティが出てくるのである。これだけの描写だけでも、未来にも労働問題というのはあり、労働者の待遇が非常な問題になっている事が分かる。経済が回っていて、公共事業が存在し、政府は資源問題に頭を悩ませていることが分かる。


ハインラインの小説の中には、人が住んでいるのである。