いまさら夏への扉でもないでしょう

はてなブックマーク - 不倒城: 海外SFを読んだことがない人に、海外SF入門としてお勧めしたい四冊
いくつか「夏への扉」に触れているコメントがあるが,夏への扉を初心者にすすめるのは疑問なんですね.なぜかというと,古いから.描写のところどころが古く,そこに違和感を持ってしまうんじゃないかなと思うんだよね.


例えば,次のような描写.

 ここに,トーゼン記憶チューブが登場する.われわれが報復攻撃に用いた大陸間ミサイルも,このトーゼン・チューブによる"思考力"を持っていた.ロサンジェルスの交通管理システムに用いられているのも,同様の記憶装置である.ぼくらはここで,ベル研究所ですらが十分に解明し得ない難解なエレクトロニクスの原理にまで深入りする必要はない.

チューブですよ,チューブ.半導体が全盛のこの時代に,チューブというのはさすがに違和感が強いと思う.もちろん,時代背景を考えれば当然だし,ハインラインの技術描写はゾクゾクするものがあるのは確かなんだけど.


あと,こんな描写もある

 ところがこの器械を使えば,製図者は大きな安楽椅子に座ったまま,キイをたたくだけで,キイ・ボードの上に備えたイーゼルに,思いのままに図を描くことができるのだ.三つのキイを一度におせば,任意の場所に水平線が現れる.つぎのキイをおすと,垂直線が現れてこれと交叉する.二つのキイをおし,つづけてまた二つキイをおすと,厳密な傾斜角を持った斜線がひけるという塩梅である.これに細工を加えて,等角頭像の設計デザインもできるようにしよう.

もちろん,これは「CADなんか影も形もない時代*1にここまで未来を予測したハインライン半端ない」と読むべきであって,古くささを責めるべきではないというのは分かる.しかし,SFに慣れていない人や,SF初心者に取ってはどう思うのだろう.違和感が先に立って,楽しく読めないかも知れない.



別に,夏への扉が嫌いという訳ではない.むしろ,大好きな小説であるし,過去にエントリーを書いたこともある.夏への扉のすごさの一つは,1957年に書かれた本でありながら,本質は今でも輝きを失わないところだろう.今に通じる描写,今でも通用する考えがふんだんに織り込まれている.

オートメーションのまだ浸透していない最後の領域はどこか? 僕は考えた.いわずと知れた家庭である.それも,一家の主婦のいる家庭.ぼくは家そのものに自動装置を施したスイッチ式の家などを工夫しようとはしなかった.女はそんなものを望みはしない.彼女らの望んでいるのは,たとえ崖の下の洞窟でも,その中に便利な家具類の備わった家なのだ.

もしこれが実現すれば,全世界の女性を,長いあいだの家事への奴隷的束縛から解放し,いわば第二の奴隷解放宣言をするに等しい意義があるのだ.ぼくは,"女の仕事に際限はない"というあの昔ながらの格言を辞書から抹殺してやりたかったのだ.家事は無限に繰り返される不必要きわまる苦役である.これが,前から,家庭用品技術者としてのぼくの誇りを傷つけてきたのだった.

家事に対してこの様に思い入れあふれる小説は過去には存在しなかっただろうし,おそらく未来にも存在しないのではないかと思う.そして,この指摘は半世紀以上立った現在でも通じるどころか,未だに一部しか実現されていない.ハインラインの技術と社会を予測する視点は,まさに一級のものだと思う.しかし,この様な事を読み取ることができるのは,ある程度SFに慣れた人ではないかと思うのだ.つまり,夏への扉は初心者向けではない.初心者は面食らって「なんだ,この小説.古くさいじゃないか」と思ってしまい,良さに気がつかないかも知れない.それはあまりにももったいない.


SF初心者に対して夏への扉をすすめる事は,野球漫画初心者に対して巨人の星をすすめる事と同等だと思うのである.

*1:いや,影も形もあったかも知れないが……

怪物王女 12

買って満足したかどうかと言われたら,満足したと答えられる作品.損は感じなかった.全体的に「その手で来たか」「こう来るか」という印象


「八岐王女」
蛇編も平和裏に解決,南久阿が仲間になるというファンにとってはこれ以上ない話.南久阿の過去の所業をどう考えるかだけど,まあ,そんな事は些細な問題だろうな.


「渦巻王女」
台風とのファーストコンタクトという着想は大変面白いんだけど,ちょっと肩すかしを食らった感じ.あ,ソラリスをイメージしてたのか.なるほど.屋敷上空の渦巻きはずっと気になってたんだけど,そう来たか.


猟奇王女」
人狼の世界にも,いろいろあるんだなと言う話.名探偵がいまいち活躍しなかったのが不満と言えば不満.ただ,この話は続くんだろうな.


「続・廃屋王女」
廃屋王女,続いていたんですか.てっきり前回で終わったのかと思ってたんだが.今後も未来の世界と現在の世界がオーバーラップするんだろうね.つまり,このままでは終わらない.「血の戦士」が単なる僕ではない事を示唆していたり,エミールがシルヴィア姉様に後を託していたり,現在と未来の南久阿がリンクしていたり,徐々に物語の中核に近づきつつある印象.


法定受託事務に関して調べてみたよ

下記のサイトで,興味深い指摘がされている.
東国原知事に対して激詰めした南日本新聞の記者が勉強不足である件 - 常夏島日記

前田記者は、家畜伝染病予防法における蔓延防止策の主語は知事であることを根拠に、国ではなく、知事が一義的に責任を負うべきではないか、と言っているように考えられます。

しかし、家畜伝染病予防法だけ読めばそう見えるのかもしれませんが、地方自治法においては、家畜伝染病予防法の蔓延防止措置は、「国が本来果たすべき役割に係るものであつて、国においてその適正な処理を特に確保する必要があるもの」と位置づけられており、したがって、家畜伝染病予防措置は、国の役割であることが明記されています。

しかし,疑問が残る.家畜伝染病予防法の字面だけ見れば,主体は知事としか読み取れないのである.

第十五条  都道府県知事又は市町村長は、家畜伝染病のまん延を防止するため緊急の必要があるときは、政令で定める手続に従い、七十二時間を超えない範囲内において期間を定め、牛疫、牛肺疫、口蹄疫又はアフリカ豚コレラ患畜又は疑似患畜の所在の場所(これに隣接して当該伝染性疾病の病原体により汚染し、又は汚染したおそれがある場所を含む。)とその他の場所との通行を制限し、又は遮断することができる


これはどういうことだろう.wikipediaをひもといてみる.

地方分権一括法により、機関委任事務及びその他従来からの事務区分は廃止され、かわって地方公共団体の事務は法定受託事務自治事務に再編成された。法定受託事務には自治事務に比して国(都道府県)の強力な関与の仕組みが設けられているが、自治事務と同様に地方公共団体の事務であり、「受託」という名称に関わらず、国や都道府県の事務が委託の結果、地方公共団体の事務になったと観念されるわけではない。
法定受託事務 - Wikipedia

この記述を踏まえると,地方公共団体の事務の一部に対して国が強力に関与できる仕組みが設けられていることを「法定受託事務」と言うと解釈できる.「本来は地方自治体の仕事だが,地方自治体が行動しない場合は国が介入できる」という事なのかな.この仮説をベースに検索を行う.google様に祈ると,次のような文書が見つかった.

(1)地方公共団体に対する国又は都道府県の関与等の基準
ク 指示
(ア) 国は、地方公共団体の行政については、以下の場合等特に必要と認められるときを除き、地方公共団体がその自治事務の処理について国又は都道府県の指示に従わなければならないこととすることのないようにしなければならない。
a 国民の生命、健康、安全に直接関係する事務の処理に関する場合
b 広域的な被害のまん延防止の観点からの事務の処理に関する場合
(イ) 国は、地方公共団体の行政については、法定受託事務の適正な処理を確保するため特に必要と認められる事項及び場合には、地方公共団体に対し指示を行うことができる。
個別法における「指示」について


言葉の意味はよく分からないが,地方の事務処理に対して,国の介入を防ぐ強固な仕組みが作られているのだなと感じた.読み進むと,個別法における「指示」の規定として,家畜伝染病予防法の47条が例に取り上げられている.これか.

農林水産大臣都道府県知事に対する指示)
第47条 農林水産大臣は、家畜の伝染性疾病の発生又はまん延により、畜産に重大な影響を及ぼすおそれがあるときは、都道府県知事に第6条、第9条、第17条、第26条第1項若しくは第3項、第30条、第31条、第32条第1項、第33条又は第34条の規定による措置を実施すべき旨を指示することができる。
家畜伝染病予防法,(略)家伝法

家畜伝染病予防法の条文の一部に関して,農林水産大臣は知事に実施を命令できる訳か.これを「国(都道府県)の強力な関与の仕組み」と解釈することは十分に可能だろう.知事としての当事者能力がない,あるいは当事者能力を失った場合は,農林水産大臣が命令しろと言う事なんだろう.主体はあくまでも知事と言う事だと思う.47条が万一発動される事態になったら,それは知事に無能の烙印を押す事になるな.


以上はあくまで私の解釈であり,他の方の解釈も聞いてみたいと思います.意見があればコメントなりぶくまなりトラックバックでお願いしますね.と,ここまで書いて,元サイトのコメント欄に詳しい意見が書いてあったことに気がついた.無駄になったみたいだが,書いてみることにする.

なぜ安田氏はNHK経営委員に選ばれたのか


誰もが思わず突っ込んでしまう様なトンデモ発言で話題を呼んでいる安田喜憲NHK経営委員に関心を持っている。なぜ彼のような方がNHK経営委員に選ばれたのだろうか、その背景を追ってみる事にした。


私の関心の端緒は(2/2) 「番組見なければ就職させない」 NHK経営委員「トンデモ」提言 : J-CASTニュースと言う記事。

放送法第16条によると、NHK経営委員は、公共の福祉について公正な判断ができ、広い経験と知識を持つ人から選ばれるとある。教育、文化、科学、産業などの各分野および全国各地方が公平に代表されるという。選任については、国民の代表である衆参両議院の同意を得て、総理大臣が任命する。

安田委員が選任された当時は、麻生太郎内閣だったため、川崎さんは、麻生政権の考え方が反映されているのではないかとみる。ただ、こうした選任方法には異論があると言う。

「うーん、なるほど。麻生さんに責任があるのか。でも、ちょっと待て。麻生さんの頃って、ねじれ国会ではなかったっけ」

当時、参院で多数派を占めていた民主党の意向により、日本銀行総裁人事が大混乱に陥った事、結果的に総裁人事に民主党の意向が反映された事くらいは私でも知っている。NHK経営委員の人選に国会の同意が必要であれば、民主党は「生みの親」という責任はなくとも、「育ての親」程度の責任はあると言う事になる。


と言う訳で、早速検索作業に入ってみた。驚くべき事に、以下のような記述が見つかった。

古森氏の退任表明を受け、政府が提案したのは前田、桑野両氏のほか、ホームエコノミストの篠崎悦子氏と多賀谷一照千葉大教授の再任2人。民主党は総務部門会議で、前田氏について「NHKの指定金融機関のトップが経営委員に就任するのは指導監督上、好ましくない」などと判断。再任の2氏については、「目立つ実績がない」ことから、不同意とすることを決めた。
混迷のNHK経営委員人事 前代未聞の委員長「空席」事態 : J-CASTニュース

2.23 NHK新経営委員,3氏決まる

 NHKの新経営委員3氏が国会で同意された。産業技術大学院大学の石島辰太郎学長,日本国際交流センターの勝又英子常務理事,国際日本文化センター安田喜憲教授の3氏。NHK経営委員は国会の同意人事で,08年秋に国会に提案されたが,野党の同意が得られず欠員となっていた。
http://www.nhk.or.jp/bunken/book/ugoki/japan_0904.html

2008年11月に、政府が提案した人選のうち、野党により3人が拒否された。そして、2009年2月に、安田喜憲が両院によって同意された。この流れを考えれば、白川日銀総裁同様、安田喜憲経営委員の誕生には民主党が大きくかかわっていた事になる。育ての親の責任もあれば、生みの親の責任も存在する事になる。


民主党が政府の提案を拒否した事を「党利党略」などと批判する気は無いが、安田喜憲経営委員の誕生に深く関わった以上は、なぜ安田喜憲を経営委員に選んだのか、民主党は国民に説明する責任があると私は考える。

CIAの大失態?

ぶくまで話題になっていたこの記事。

 アフガニスタン東部のホースト州にある米中央情報局(CIA)の基地で自爆テロが発生。7名のCIA要員と1名のヨルダン政府関係者等が死亡した。「一度にこれだけ多数のCIA要員が殺害されたのは、過去30年間を振り返っても例がない」と言われており、米国の諜報史上に残るCIAの大失態として記録された。
米国諜報史上に残るCIAの大失態:日経ビジネスオンライン

確かに、失態だとは思うけど、大失態とまで言えるのだろうか。そもそも、この記事を読むと、自爆テロ自体は失態とは言えないんじゃないのかな。

この小さな基地を指揮していたのはCIAきってのアルカイダのエキスパートである。過去14年間にわたってアルカイダを追い続けたこの女性は、このテロ組織に関しては「百科事典」のような知識を持つ専門家だったが、今回のテロで死亡した。

 この後に「パキスタンタリバン運動(TTP)」が出した犯行声明によれば、彼らははじめからこの女性を狙ってダブル・スパイ工作とテロ攻撃を仕掛けていた様である。
米国諜報史上に残るCIAの大失態 (4ページ目):日経ビジネスオンライン

この女性が狙われたと言う事は、「パキスタンタリバン運動」はこの女性がアルカイダのエキスパートである事、その女性が基地にいた事が「敵」に把握されていた事であり、CIAはそのことを把握していなかったと言う事になる。その事自体が失態であり、自爆テロで女性を失った事は、CIAに取っては些細な事に過ぎないと思うんですよね。


で、この件をなぜ「大失態」と呼ぶ事が出来ないかというと、話は簡単。CIAにはそれより酷い失態があるから。簡単に言うと「ソ連・東欧のスパイ対策を統括した男がKGBに寝返った」という事件。そのせいで、CIAによるソ連や東欧のスパイ活動が大打撃、壊滅的な打撃を受けたと言う失態がある。なお、CIAはこの男がKGBに寝返った事に9年間気がつかなかった。


Wikipediaに簡潔に書いてある。

金銭的な困窮を理由に、自らアプローチしてソ連KGBのスパイとなった。当時の役職は「工作本部東欧局防諜部長」である。この役職は、ソ連・東欧の情報員(CIA工作官も含む)のすべての情報(最高機密)を知り得る高位の役職であったため、ソ連側に高額な対価を要求し、それが受け入れられると、「トップクラスの情報提供者10人以上のリスト」を漏洩させ、(全員が逮捕され、自供してほとんどの情報提供者が死刑にされた)CIAの活動に壊滅的な大打撃を与えた。 その後も、1994年に逮捕されるまで、約9年間に渡ってスパイ活動を続け、数千件の情報を提供し続けた。
オルドリッチ・エイムズ - Wikipedia

また、CIAの内情を伺わせるレポートもある

九四年二月に事件が発覚した当初は、エイムズはCIAで定期的に行われるポリグラフ(嘘発見器〉検査をくぐり抜けた、と言われていたが、実はそうではなかった。エイムズは検査に引っかかっていたのである。報告書によると、KGBに情報を流し始めて約一牢後の八六年のエイムズの検査記録には、「外国の情報源との承認されていない接触」について、嘘をついている、と記録されている。ところがCIAの検査官は、エイムズを“合格”させていた。この段階で何らかの処置を行っていれぱ、被害はまだ押さえられたかもしれなかった。
globe-walkers.com - このウェブサイトは販売用です! - 大野 ザンカー インタビュー デュース 人材 国際 世界 コラム リソースおよび情報


私の印象では、CIAは失態を繰り返している組織であり、今回のヨルダンの件にしてもCIAの弱さが、組織としてのダメさ加減が表に出ただけではないのかなと思う。情報機関を過小評価する気はないが、「スパイ」というイメージが先行して、スパイや情報機関を色眼鏡で見る傾向があるのかもしれない。

はじめてのおつかい、舞台裏

お母さん大学 | お母さんはスゴイ!を伝えると言うエントリーを読んで、反射的に思い出すのは、「はじめてのおつかい」である。おそらく該当エントリーを読んだ人も、「はじめてのおつかいは、どの程度真実なのか」と気になっているに違いない。あれだけの高視聴率を叩きだし、長年にわたって放送されている以上、どこかにやらせがあると考えても不思議ではないと思うのが世の習いではないだろうか。


はじめてのおつかいに関しては、担当ディレクターが著書で述べている。日本テレビに佐藤ディレクターという方がおられるのだが、はじめてのおつかいを立ち上げたときの事、番組に対する思いを文章にしている。その文章は「僕がテレビ屋サトーです」という書籍に収録されている。その文章を見る限り、私個人の印象としては「やらせはない」と感じる。しかし、「やらせでなければいいのだろうか」と引っかかりを覚えるのも確かなのである。


では、いくつか、抜き出してみよう。

『はじめてのおつかい』に、スタッフは四つの大きな柱を立てた。
1.出演依頼と一般公募は、しない。
2.撮っていることを、子供に気づかれない。
3.子供に嘘をつかない
4.子供の安全を最優先にする


この四つの柱が守られていれば、テレビ番組はおかしな事にはならないわけだ。そして、この本を読む限り「はじめてのおつかい」はこの四つの柱をかたくなに守ろうとしている。そして、その柱を守るために、様々な仕掛けを行っている印象を受ける。


出演依頼と一般公募に関しては、

おつかいをする子供たちは、スタッフが自分の目で探す。

全国に情報網を巡らせ、東にユニークな子供がいると聞けば見に行き、西に豪傑の母ありと聞けば話しに行く。<<ママさんズ>>という女性リサーチ隊が、その担当だ。

両親と打ち合わせを重ね、子供身上調査書を作る。厚さ3センチになる。そのころにはお母さんも、スタッフの一員になっている。お母さんが<<テレビに出る子のママ>>ではなくて、<<一緒に冒険する母>>になるまでじっと待つのだ。待つこと3年、子供が小学生になっちゃった、なんて笑えない話もあった。

そして、撮っていることを子供に気づかれないための工夫として、

子供は、そんな企みが進んでいるとは、知らない。スタッフは、お母さんのヨガのお友達だったり、電気屋さんだったりするからだ。子供をなるべく遠い家に預けてもらって、電気屋さんは大急ぎで室内に隠しカメラを仕込む。


この本を見る限り、「はじめてのおつかい」は、台本なるものが一切存在しないそうだ。

前の晩に母さんは隠しマイクを子供の服にせっせと縫い付けて、送信機をお守り袋に隠す。そのお母さんの顔の嬉しそうなこと! と、ここまではテレビ局と母親が<<仕掛けた>>一幕なのだが、一旦子供が家を飛び出した瞬間からあとは、すべてが自然のままに進行する。番組を面白くするための仕掛けや嘘は、一切ない。それが『はじめてのおつかい』の信条だ。僕らは無骨にそれを守る

当然のことながら、「すべてが自然のままに進行する」以上、番組作りは大変なものとなる。

だから、番組作りはいつも修羅場だ。放送するにはどうもねェというおつかいが、毎年どっさり、それこそダンプカー一杯も撮れてくる。イヤッ! と言い張る子、1時間泣きつづける子。反対に見事におつかいをやってのけてちっとも面白くない子! スタッフルームはお蔵入りのテープで埋まる。

その代償は大きなものとなる。

10倍のエピソードと3000倍の素材が捨てられている。ふつう、2時間の特番で7つのおつかいを放送するが、その陰で70のおつかいが撮影され、70組の子供と70人の母さんと、かかわってくださった多くの人々の努力が捨てられている


「はじめてのおつかい」には、確かに撮影に関しては作為はない。どこをどう切り取っても「やらせ」と言える様な行為は存在しない。しかし、真実を描いているかどうかは、私には疑問である。今回批判されている番組と、「はじめてのおつかい」の違いは、前者が台本を作り、送り手側の意図通りの番組を作り、後者が山のように素材を取り、その中から厳選して、送り手の意図に沿うような番組を作ると言う違いである。送り手の意図通りの番組を放送するという点では、何も違いがないように思う。テレビ番組というメディアにした時点で、何らかの作為、意図が入り込むのは避けられないのではないか。


佐藤ディレクターの本を読むと、はじめてのおつかいに対して二つの気持ちがわいてくる。一つは、掛け値無しに凄い番組だという意識。この様に手をかけることで、面白い番組ができるものだし、この様な手をかけた番組だからこそ、視聴者がこの番組を見ているのだなと思った。

一方で、番組を作るために、10倍のエピソード、3000倍の素材を捨てるというのは、不自然のようにも思う。視聴者が「はじめてのおつかい」に期待しているのは、自然な子供たちの姿だと思うのだが、自然さを描写するために、不自然なまでに素材を捨てているところに矛盾を感じるのである。


外国人参政権に反対する


この問題はデリケートな問題だと言う事は承知しているが、あえて参戦してみる。その前に、自分の立場を述べておくと、永住外国人参政権を与えることには反対している。参政権を得たいのであれば、きちんと帰化をするべきだと考えていたわけである。


では、本題に入る。海外の外国人参政権事情についてのメモ - 情報の海の漂流者経由で、外国人参政権をめぐる論点を知った。ふんふん、これは良くまとまっているな。これ抜きには外国人参政権問題を語れないと思いながら読み進めていったところ、ある記述にぶつかった。

肯定説からは、永住資格を持たない者に参政権が与えられない点及び10年以上の在留が必要な永住資格を要件とする点に対して批判がある(59)。我が国では原則として、帰化のための居住要件が5年(例外的に3年)以上、永住のための居住要件は10年以上と、帰化よりも永住の居住要件が長くなっている(60)。このため帰化のための居住要件にあわせて、5年以上または3年以上の定住者に選挙権を付与すべきであるという主張が多い(61)。

この記述はまいったな。


つまり、今まで私は無意識のうちに、日本国籍取得の方が外国人の永住より難しいと思い込み、それを前提に外国人参政権に反対していたため、自分の論拠が崩れてしまったのである。永住資格を取る事が、日本国籍取得と同等、あるいはそれ以上に難しいのであれば、外国人参政権に反対する理由はなくなる事になる。やっぱり、知識がないのに反対賛成をむやみに掲げるべきではないな。


一応、ネットをあたってみたけど、やっぱり永住資格を取得するのは難しいらしい。

国籍が変わるかどうかという大きな違いがありますので、申請のしやすさよりも、自分や家族の将来設計をよく考えて、選択していくことが重要かと思いますが、日本での生活期間が短くてすむのは、帰化申請ですので、期間だけを考えれば、帰化のほうが申請しやすいかと思います。

永住の場合、身元保証人が必要であったり、その方の収入の証明が必要となったりと、第三者に協力してもらうことが必要となる場合があります。

一方、帰化申請では、身元保証人を要求されることはありませんので、この点においても、帰化申請のほうが申請しやすいと考えられる場合もあります。

僕の感覚ですと、一般的に永住許可申請よりも帰化申請のほうが申請しやすのではないかと思っています。
帰化申請と永住許可、どちらが申請しやすい? | 名古屋会社設立代行オフィス


と言う訳で、永住権を得る事が難しいと言う以上、永住外国人帰化した方々を区別する理由はなくなったわけで、外国人参政権に反対する理由もなくなった。


しかしである。永住資格の取得と、日本国籍取得の困難さが同等なのであれば、現在日本に来ている外国人の方々にとっては、外国人参政権は恩恵をもたらさないわけである。今国会で外国人参政権が成立して、恩恵を受けるのは既に永住資格を持っている方々、すなわち、在日韓国人在日朝鮮人の方々が恩恵を受けることになる。


民団と民主党はかねてから親密さが話題になっているし、民主党の方としても民団の支援を受けている以上、何としてでも今国会で成立させたいのであろう。しかし、外国人の永住資格の困難さをそのままにして、性急に外国人参政権を成立させていいものかとの疑問はわいてくる。例えば、在日外国人を、在日朝鮮人・韓国人とそれ以外に分断してしまう可能性はないだろうか。


外国人問題は、民団と民主党の関係とか、在日韓国人朝鮮人の支援を受けているとか、その様な狭い枠組みで考えるべき物事ではないように思える。民主党外国人参政権は、外国人問題を卑小化し、狭い枠組み、近視眼的な観点からしか見ていないように思うわけである。


永住外国人参政権を与えるかどうかは些細な問題であり、外国人の永住資格の要件緩和、日本国籍の取得条件緩和の方がより重要な問題である。そして、重要な問題を議論するためには、外国人参政権を性急に成立させず、すべての国民が議論を深めた後で成立させることが必要だと考える。


下手に外国人参政権が成立してしまうと、永住資格の厳格さが忘れ去られてしまう可能性、議論の俎上に上らない可能性がある。その意味で、今国会での外国人参政権の成立に強く反対する次第である。